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NPO釜ヶ崎 現場通信 128号 (発行:2008/12/17)

アルミ缶値段の激落、仕事の激減、シェルター利用者の増加、厳しい年の瀬になっている。
釜ヶ崎で起きてきた窮迫状態は、いま日本全体に拡がりつつある。

今年の年末は、去年・おととしにくらべても、かなりきびしくなっている。アルミ缶の値段は夏にくらべて3分の1くらいに下がっているし、センターの現金求人も去年にくらべて2割、おととしにくらべて3割減っている。労働者の高齢化にともなって、生活保護に移る人が増えていくなかで、少しずつシェルター利用者も減ってきていたが、今年の8月からは増加に転じた。例年であれば11月から2月までは減るが、今年は逆に9月・10月・11月と増えつづけている。それだけアルミ缶の値段や仕事量が落ちたことが、釜ヶ崎に影響をあたえてきているということだ。

しかしこの現象は釜ヶ崎だけでなく、日本全体にひろがりつつある。いまマスコミでは「派遣切り」がしきりに取りあげられているが、それは90年代に釜ヶ崎労働者が経験してきた姿そのものだ。90年に1日平均で9600人ほどあった仕事は、93年にはわずか3年で4100人へと6割近くも急激に減ってしまった。その結果、多くの労働者が路上になげだされた。そうした状況を改善することが、現在の特別清掃やシェルターなどの行政施策の出発点だったといえる。

派遣労働と釜ヶ崎の日雇労働は、実際に作業を指揮・命令する会社と雇用される会社がことなり、労働者を使う会社には雇用責任がないという点で、まったく同じシステムである。雇用責任がないから簡単に首を切れる。元請は派遣会社に「もう人をださなくてよい」と言えばいいからだ。解雇されたあと仕事をさがしても、景気が後退していて見つからない。派遣契約の解除だけでなく、建設日雇や日雇派遣など、今秋以前からすでに不安定な状態だった人は、路上生活におちいる危険がより増している。仕事自体がないのだから、民間企業に就労先をゆだねるのではなく、釜ヶ崎でも日本全体でも、国が責任をもって社会的あるいは公的に就労事業をつくりだすべきである。


あいりん越年対策事業の実施について

省略(年末年始に開設される臨時宿泊所の入所資格・相談受付などを記載した大阪市発行の案内)