第4章 日雇労働者・野宿生活者問題を考える視点
1.これまでの福祉国家は貧困をなくしたか?
福祉国家を標榜してきた多くの先進ヨーロッパ諸国では、今日再び貧困問題がクローズアップされている。事実、貧困者の数も日本以上に多い。70年代後半以降、慢性的な不況が続き、失業率が上昇する中で、こうした問題が深刻化してきた。
不況の深刻化は、先進諸国においても否応なく福祉水準の切り下げとなって現れた。それによって、一方でアンダークラスについての議論が盛んとなり、他方で途上国・先進国いずれも視野に入れた貧困問題についての議論を活性化させている。

現在、先進諸国でホームレスが増えていると言われる。たとえば、ニューヨークでは同市人口の3%にあたる25万人近くが過去5・6年の間に一時収容施設で過ごした経験を持つ。ロンドンでは約40万人がホームレスとして記録されている。フランスでは、全土で20万人から60万人がホームレスと推定されている(国連開発計画編『人間開発報告書1997貧困と人間開発』1997年、38ぺ一ジ)。
しかし、問題は、慢性的な経済不況にともなって、これまでの福祉国家が貧困者を経済的に救済できなかったことだけにあるのではない。むしろ、「所得」といった経済的救済措置だけの貧困者救済には限界があることも、議論され始めている。
これに関連して、国連開発計画では、貧困を三つの視点から見ることを提起している。第一は、「所得」の視点。一定量の食料を得るために必要な所得水準を貧困ラインと決め、それによって所得・食料による救済を行う。
第二は、「べーシックニーズ」の視点。この視点によると、貧困は、食料を含めた人間の必要最小限のニーズを満たすために必要なものが欠乏していることとみる。そして「べーシックニーズ」とは、社会において人と何らかの関係を持ちながら生活するための前提条件となるものであり、個人所得だけでなく、保健医療、教育、住宅、雇用なども課題となる。すなわち、生存維持、自立、参加が政策目標となる。
第三は、「能力」の視点。貧困とは、その社会の中で生きていくのに必要な何らかの基本的能力が欠如していることとみる。たとえば予防可能な病気に罹らないでいるという身体的なものから、地域の社会生活に参加できる(社会的排除の克服)といったものまでを含む。基本的能力が欠乏しているということは、寿命、健康、住居、知識、参加、個人の安全保障、環境について剥奪状態に置かれていることを意味する。そして、「能力」を高めることは、自立生活・社会生活を送る上で必要になってくる人間の機能を回復・強化することを意味する。
この「能力」の問題は、物的な保障を重視してきた従来の福祉国家においては、必ずしも視野に入っていなかった。その意味で、これまでの福祉国家といえども、広い意味での貧困をなくすことは不可能だったといえる。しかし、今日では、所得と消費に基づく従来の貧困の定義が不適切であることが、広く認められつつあり、第二の「べーシックニーズ」の視点、さらに第三の「能力」の視点が重要視されるようになってきている(注9)

これに対し、日本における貧困者や社会的弱者に対する政策は、基本的に弟一の視点、から抜け出せていないのではないだろうか。第二の視点についてみれば、日本では社会教育、住宅、雇用等についてはあまり多く実施されていないのが現状である。ましてや、「能力」の視点は、ようやく研究者から多くの指摘がなされるに至ったとはいえ、社会福祉の実践領域では全くといってよいほど日本では省みられていない(注10)

こうした貧困をめぐる議論と連動しながら、先進諸国とくにヨーロッパ諸国では80年代以降、社会的排除に関する議論、そしてアンダークラスの市民権に関する議論が浮上してきた。
この社会的排除の問題に関し、斉藤日出治氏は、J.B.フーコーの言説を引用しながら次のように整理する。
排除は貧困や搾取とは異なる独自な現象である。貧困や搾取が存在していても強い社会的きずなが保たれている社会は存在する。だが排除はこの社会のきずなを根底から断ち切る。これまでは伝統に根ざしてきた家族的・地理的きずなが存在していたために失業や貧困によって経済的世界から脱落しても、社会への組入れから完全に締め出されることはなかった。ところが都市化、激しい地理的移動、家族の不安定化、生活様式の個人化によって、従来の伝統的な社会的きずなが、次々とうち砕かれる。そうすると、失業や貧困は文字通り社会そのものからの排除を意味するようになる。そして、これまでの福祉国家は、失業者にやがて労働に復帰するまでのあいだ生活を保障するという機能を果たしたが、今日見られるような排除の現象に対しては有効な対応をすることができない(斉藤日出治『ノマドの時代ー世紀末のヨーロッパと日本』大村書店、1994年、178-180ぺ一ジ)。

また、アンダークラスの市民権保障の新たな展開に関する議論も盛んに行われるようになった(注11)
欧米諸国では、貧困、社会的排除そして市民権をめぐる議論が活発になる中で、これまでの福祉国家の限界を超えることを目指して、包括的であれ部分的修正であれ、諸政策の見直しの議論が生じている。ここでは理論的内容に踏み込む余裕はないが、実際の政策レベルにおいて、たとえば先に紹介したフランス「社会的排除に抗する法」のように、いくつかの新しい試みが始まっていることを指摘しておこう(注12)。これらは、貧困とホームレスヘの政策をより包括的な形で実施することを意図したものである。
先進諸国では、新たな挑戦がすでに始まっている。そうした中にあって、日本では「野宿生活者がそれほど多くない」、「貧困問題もそれほど深刻ではない」と見なされてきたこともあって、新たな取り組みは未だ何もなされていない。すべてはこれからである。


2.日本における「日雇労働者・野宿生活者=排除」化の構造
第2章で日雇労働者の労働実態を、第3章第1節では日雇労働者の生活実態を明らかにした。そこでは、日雇労働への参入理由はどうであれ、生きるために真面目に働き、また働こうとしている労働者達の姿を述べた。同時に、彼らの一般勤労者との違いは単身性と不定住性・漂泊性にあることも、明らかにした。こうした異質性は、日雇労働者が健康で仕事に充分に就けるうちは、一般市民からも「ただの土方のおっちゃん」といった見方をされるにすぎないだろう。この限りでは、彼らの勤労者として見なされていることを意味する。
しかし、高齢化にともなって、日雇仕事に就ける機会は減少し、建設日雇いから数々のインフォーマルな都市雑業へと転身していく者も多い。そして、それは簡易宿所・飯場から路上・公園への寝場所の変化を意味する。そこでは、彼らは実態として失業者であるのに、雇用政策上はそのようには扱われず、野宿生活者(=不定住者)として社会政策上のあらゆる施策から排除されるとともに、多くの市民や行政当局からは特別な眼差しでもって見られるようになる。

第3章2節(a)で述べたように、野宿生活化の主たる要因は経済社会的なものであった。しかし、多くの市民は野宿生活者本人の性格や価値観に要因を求めようとしている。それは、身だしなみに気を配り、日々忙しく行動している市民からみると、野宿生活者は身だしなみも良くない、また路上や公園で無為に時間を過ごしているところしか見えない。こうした現象面の差異が、市民からは、自分たちとは「異質」な存在、まじめに暮らしている自分たちとは異なった人々として、意識化されていく。そして、「異質」という眼差しは、ついには一つの社会的風潮として、広く社会に浸透していく。
しかし、この「異質」化の社会的風潮は、それにとどまらず、彼らを社会的排除の状況に追いやる。時には、野宿生活者に対する一部市民によるあからさまな嫌がらせや暴力事件、さらには殺傷・殺人事件まで引き起こしてきた。1983年の横浜市で発生した野宿生活者襲撃事件を皮切りに同じ年大阪でも襲撃事件が発生した。その後も幾度がこうした事件が発生している(釜ヶ崎資料センター『釜ヶ崎 歴史と現在』三一書房、1993年、166〜177ぺ一ジ)。ごく最近の大阪における大きな事件は、1994年の道頓堀での藤本さん投げ込み事件であった(これについては、北村年子『ホームレス襲撃事件』太郎次郎杜、1997年が詳しい)。

さらに行政の対応も、社会的な福祉施策として対応されるべきものが、個人の責任として見なし放置したままでやり過ごすことが多い。その一方、強制的な排除や取り締まり等による社会統制的な施策を優先させることもある(たとえば、1990年の天王寺公園の有料化にともなうフェンス囲い。その結果としての野宿生活者の追い出しなど)。
こうした社会的排除の一方で、野宿生活者に対して、社会の「じゃま者」とか、汚い・不衛生などの観念を含んだ「みじめ」な人々と捉える人も多い。これらの市民の多くは、野宿生活者をみると、嫌悪感を表情に表す者もいれば、何か悪いものを見てしまったかのように視線を逸らし通り過ぎていく人もいる。
いずれにしろ、行政や多くの市民は、野宿生活者に対し偏見と差別的まなざしを持ち、彼らの人権については無関心である。
では、こうした行政対応や市民意識が形成された要因は何だろうか。その一つは、これらの単身貧困者に対する戦後日本の社会福祉の展開(広い意味で日本の福祉国家体制)が、制度的に単身貧困者を「異質」化する視点を持っていたことに求められる。もう一つは、こうした展開と不可分であるが、日本の市民・勤労者が作り上げてきた生活規範意識もまた、単身者やそして野宿生活者を社会の周辺に押しやることになったのではないだろうか。

第1の戦後日本の社会福祉のあり方については、岩田正美氏による優れた実証研究がある(岩田正美『戦後社会福祉の展開と大都市最底辺』ミネルヴァ書房、1995年)。著者は、戦後の社会福祉の展開を「救貧」からの脱皮、「一般住民」を対象にした福祉への転換過程であったとし、4期に分けて考察している。
第1期(1945−54年)では、新生活保護法の制定(1950年)によって個人単位から世帯単位への対応に変化し、貧困が全面的に貨幣タームで把握された。その一方で、「浮浪者保護事業」が治安対策的色彩を強めた。
第2期(1955-64年)では、国民皆保険・皆年金のスタートにともなって、職域か地域への「帰属」証明が前提とされ、「不定住貧困」者が制度的に排除された。また、「不定住貧困」の本質を社会経済的問題より精神疾患などの病理として把握し、「特殊」な人々として「更生」の対象とされた。
第3期(1965-72年)、第4期(1973-90年頃)では、それまでの展開が一層押し進められ、定住する「住民」を基盤とした事業の「一般化」の道をひたすら進んでいったことが示された。こうして、都市最底辺において自立生活の枠組みを獲得できない人々の貧困を「異質・特殊化」し、その窮迫状態において、また治安的観点から、居宅保護、入院保護、施設保護、また応急的な法外援護などによる部分的救済を模索することになった。
まさに、戦後日本の福祉国家としての体系化が、単身・漂泊型の貧困者を社会的に排除する仕組みとして形成されてきたことを述べている。そして、こうした制度化が、漂泊型日雇労働者や野宿生活者を「異質」な存在として位置づけ、市民・勤労者にもそう認識されるようになった。

次に、第2の生活規範意識について述べよう。経済社会が豊かになるにつれ、他方で家族を核とする(しかも性的役割分業を内包して)近代的な生活様式が確立されてきた。それは、誰もが望むべき生活様式であり、それにともなって、規範的な「労働者像」「生活者像」が形成されてきた。大学へ進学すること、大企業に勤めること、一家を構えて自分の家を持つこと、それらが市民としての望ましい生活規範として形成された。それが実現していない市民にあっても、それへの強い願望を持ち、子供にその実現の夢を託す。
成熟社会に達したと言われる今日の日本社会では、価値観の多様な広がりが見られ、これとは異なる生活規範意識を持つ者も増えてきているが、依然としてこうした規範意識は多数派であることに違いはない。
今日の日本社会において、多くの市民や勤労者がこのような望ましい生活規範意識を共有することは当然のことであろう。しかし、問題は、ややもするとその周辺部に位置する人達への関心を失ない、偏見と差別的眼差しによって「異質」な存在として認識し、彼らとの関わりを拒絶していることにある。このため、単身の漂泊型日雇労働者や野宿生活者はますます社会的排除という困難な状況に追い込まれている。すなわち、多くの市民は無意識のうちに野宿生活者を社会から排除しているが、そのことに気づいていない。


3.政策立案の基本的考え方ーエンバワーメントー
日雇労働者問題や野宿生活者問題を考えるとき、彼らの所得水準の低さ・経済的貧困に目を奪われがちであるが、それらと同等に社会的排除の問題は重要である。こうして、「経済的貧困」の克服(所得保障)だけでなく彼らの自立支援(能力アップ)、そして社会への「再参入」が政策上大きな課題として浮かび上がってくる。そしてまた、もちろん尊い命を持った人間(市民権保障)として、彼らもまた尊重されなければならない。
それでは、こうした所得保障、自立支援、社会への再参入、そして人権の尊重という4つの柱を実現するにはどのような政策が必要なのだろうか。

大事なことは、彼ら日雇労働者・野宿生活者は、「労働へのアクセスが限られている、あるいは排除されていること」、また「家族・地域社会や親密な社会集団への帰属から排除」という実態をいかに克服するか、その道を示すことにある。また、経済的貧困の克服に加えて、彼らが自立生活を送れるように能力アップの支援を行うことにある。そしてこうした一連の政策は、まさにエンパワーメントとして位置づけられるものである。すなわち・エンパワーメントとは、「よりよい社会へと変えていく力、責任を持った主体として社会を築いていく力を身につける」ことを意味する。
日雇労働者・野宿生活者といえども、一人の人間として基本的人権が保障されなければならないし、社会の一員として認知されなければならない。そして、なによりも自立生活を送り、社会の一構成員として社会的生活を過ごす力を持てるようにすることにある。同時に、高齢労働者に対しては、これまでの枠を越えた福祉・医療施策の検討が必要になるだろう。

さて、具体的な政策は、雇用、住居・街づくり、福祉・医療、社会に対する啓発、そして日雇労働者・野宿生活者を支える人材、ボランティアやNPO(民間非営利団体)の育成にまで及ぶものでなければならない。
とくに注意しておかなければならないのは、これまでの施策の多くーとくに福祉・医療施策ーが、事後的な対応に追われ、問題の根幹に触れるような施策を実施してこなかったことを考えれば、今後は事前的・予防的施策の創造が望まれることである。また、経済不況の深刻化の中で、高齢の野宿生活者が増加していることについては、緊急の施策が必要とされていることを強調しておかなければならない。
こうした諸問題への対応は、単に大阪の課題であるだけでなく全国の大都市にも共通した課題であるがゆえに、何よりも政府自らが対応することが求められる。また、大都市自治体相互の創意・工夫と協力が必要である。さらに、当事者や地域住民との根気強い対話が必要になるだろう。