第3章 日雇労働者・野宿生活者の生活実態と対応策
1.日雇労働者の生活実態
(a)釜ヶ崎の生活環境
釜ヶ崎の日雇労働者の生活実態については、多くの調査によって明らかにされてきた。ここでは、とくにあいりん総合対策検討委員会『あいりん地域の中長期的なあり方』(1998年2月)、またその記述のべ一スとなった社会構造研究会『あいりん地域日雇労働者調査』(1997年3月)に依拠しながら、その概要を述べておこう。
これら日雇労働者の多くは、求人求職の場である寄せ場を抱える釜ヶ崎(=あいりん地区)とその周辺地区を、生活の拠点にしている。この地区は、<資料1>にあるようにほぼ800メートル四方の地域であるが、その地域性は東部地域と西部地域とでは異なっている。とくに西部地区では、高層の簡易宿所が林立し、労働者相手の飲食店やコインランドリーなどが軒を連ね、地域対策を目的とした関係施設も多い。また、屋台・露店や放置自転車・放置自動車などが路上に見られ、不法投棄ゴミも多い。

この狭い地域に200軒を越える簡易宿所や準簡易宿所が密集している。その多くは個室からなる鉄筋・高層の建物で、居室は3畳程度、各部屋に炊事場やトイレなどの付属設備のないものが多い。狭く、設備の不備な居住空間であるため、食事や洗濯その他の日常生活に必要なものは簡易宿所の外に求めるしかない。したがって、簡易宿所は、睡眠を取り、一人身体を休める場としての機能を持つに限られている。
これらの結果、日常生活の多くの部分は街頭でまかなうことになる。地域内には、飲食店、弁当屋、屋台・露店、コインランドリー、コインロッカーなどが多く、酒類の自動販売機もまた多い。
このような生活環境の中では、とうてい落ち着いた日常生活を営むことは困難であるし、意外と支出も多くなる。また、同じ簡易宿所に長期にわたって居住することも希なため、腰を据えて簡易宿所に住むことはできず、その結果簡易宿所に対してまた地域に対しても愛着が持てない人も多い。いわば「根無し草」的な生き方になりがちである。

(b)衣食住と娯楽
簡易宿所の宿泊料は平均1500円前後で、月額にすれば4万5000円となる。これは安価な賃貸アパートに入居できる金額である。それでも、日雇労働者の多くが簡易宿所を利用する理由は、期間雇用として飯場に入ることが多いことを考慮して住宅・アパート住まいを敬遠しがちなことや、保証人や権利金・敷金が用意できないことなどによる。また、彼らの日々の活動はあいりん総合センターでの早朝5時の求職活動から始まる。このため、その周辺にある簡易宿所がきわめて便利なことも理由としてあげられる。
釜ヶ崎の日雇労働者の食事は外食中心のものとなっている。あいりん総合センターから就労する者は、求人業者の飯場の食堂か、センター内やその周辺の飲食店で朝食を済ます。昼食は現場で取り、夕食は再び地域内の食堂で済ましたり、弁当を購入して簡易宿所で済ます。また、激しい労働の疲れを癒し、あるいは孤独な生活を紛らわすために飲酒する者が多い。さらに、仕事にアブレ、所得が底をつくようになると、期限切れの弁当を手に入れて済ましたり、ボランティア団体の提供する炊き出しを利用する者もいる。
こうした食事の結果、栄養バランスが悪く、また過度の飲酒によって健康を害する者が多い。
なお、衣服については、建設業従事者が多いことから、現場での作業服スタイルの者が多い。また簡易宿所に滞在したり飯場を移動することが多いため、衣類をはじめとする身の回り品も限られている。このため、日常生活の場でも作業服姿で過ごす者も多い。

釜ヶ崎の日雇労働者の多くは、雨天や求人数の減少などによって仕事にアブレることが多い。このアブレが生じると、彼らは自分の意志に反して否応なくその日一日を「自由時間」として過ごさざるをえない。「明日もまたアブレるかもしれない」という不安から金を無駄に支出することがはばかられ、他方、突然に与えられた「自由時間」であるためこれといった目的を持って時間を過ごせるわけでもなく、結果として時間を持て余し気味になる。このため、何もせず総合センターやその周辺でたたずむ者、友達と会話をする者、そして中には朝から飲酒をして気持ちを紛らわす者もある。
他方、長期の飯場仕事を終え、しばらく休暇を取ろうと釜ヶ崎に帰ってきた者は、羽振りも良く、娯楽らしい娯楽が何もない飯場からの「帰還」ということもあって、賭事など刺激のある娯楽に楽しみを求め、浪費してしまうこともある。
このように、一言に日雇労働者と言っても彼らの置かれた状況は大きく異なり、もちろん娯楽の志向も多様性に富んでいる。彼らの「自由時間」の過ごし方には、「仲間との会話」、「テレビ・ラジオ」、「趣味」、「飲酒、パチンコ」、「競艇などの賭け事」などがある。また、地域内にある自彊館三徳寮内の談話室や新今宮文庫(図書室)、あいりん総合センター娯楽室での囲碁・将棋を利用する者も多く、常に満員である。これらの娯楽の多くは、釜ヶ崎の地域内で享受できるものがほとんどである。
このように、ややもすると、飲酒が多くなる者や賭け事に大金を費やす者もいるが、全体的には慎ましい生活を送っている者が多い。

(C)生活設計
老後生活保障のことを考えると、労働者であれば、本来厚生年金に加入するのが普通である。しかし、日雇労働者については被保険者期間の確認がむずかしく、また保険料徴収が困難であるため、日雇労働者は公的年金の被雇用者年金制度(厚生年金)への加入から除外されている。
そのため、日雇労働者が加入できる年金保険は国民年金に限られるが、加入している日雇労働者はきわめて少ない。社会構造研究会の調査(調査時点:1996年9月)によれば、調査対象461名中59名、12.8%にすぎなかった。国民年金は月額払いであること、各種手続きを住民登録している市区町村で行うことなどが釜ヶ崎の日雇労働者の就労・生活実態と合致せず、加入が困難な者が多い。なお、言うまでもなく国民年金の支給水準は、生活保護と変わらない低い水準にある。

また、政府と建設業界が短期・臨時・日雇労働者のために実施している「建設業退職金共済制度」があり、公共工事の受注業者は加入と掛け金収納義務を負っているが、実際に給付を受けている日雇労働者はごく希にしかいない。
たとえば大阪府・大阪市の最近の調査では、府・市の公共工事74件についてみると、標準的な目安によれば3億6000万円分の証紙が購入されるところ、実際には51%の1億8300万円しか購入されなかった。しかも購入した証紙も1億3800万円分(全体の38%)が労働者に渡っていず、渡ったことが確認されたのは11%の3900万円にすぎなかった。受注した元請けゼネコンによる目的外流用が報道されている(<資料4>参照のこと。詳しくは、第5章第1節で述べる)。
この他、労働者の預金の奨励を目的に設置されている愛隣貯蓄組合(通称あいりん銀行)への預金もある。1997年3月末現在、有効口座数6706口で、預金総額11億2800万円、一口平均16万8000円である。口座数はあまり多くないし、金額は当面の生活費としては使えるが、老後の生活資金としては非常に不十分な額である。
このように、日雇労働者の老後の生活に対する備えは何もないと言ってよい。しかし、その責任は本人にのみ帰せられるわけでもない。制度そのものの不備、そして運用上の問題は、労働者本人の責任以上に大きいといえよう。


2.野宿生活者の実態
(a)増加する野宿生活者
大阪市立大学都市生活環境問題研究会の本年8月における調査の結果、以下のような野宿生活者の居住地域の広がりが明らかとなった(大阪市立大学『大阪市における野宿者概数・概況調査』1998年)。
表2は、大阪市内各区ごとの野宿生活者の実数である。夜間路上や公園等で就寝していた者8092人、リヤカーなどを引いて移動していた者568名で、これを合計すると8660人となる。とくに、西成区、浪速区、中央区、天王寺区、北区、阿倍野区、東住吉区などで多くの野宿生活者の存在が確認された。また、野宿生活者は、全市にわたって分布していることも注目する必要がある。
表3は、野宿生活者の多い街頭地区や公園での概数である。公園が多くの野宿生活者の生活拠点となっている。公園には、段ボール数きや何も持たずに就寝しに来る者も多い。また、天王寺公園、大阪城公園や西成公園、長居公園などでは、シート、木枠、段ポールなどでテント・仮設住居を造り、そこでの生活が常態化している者も相当いる。さらに、いくつかの核心となる街頭地区では、歩道や公園周辺で、テント・小屋掛けなどが目立つようになってきている。

これらの野宿生活者は、とくに98年に入って急激に増加してきている。ボランティア団体「野宿者ネットワーク」による日本橋エリア(堺筋、でんでんタウンの本通りならびに東西の裏通りと公園)では、今年2月以降野宿生活者が急増し、2月216人から8月640人に増加したという。また昨年8月の同エリアにおける野宿生活者は215人であったことからこの1年で3倍に増えたことになる。このように、今年に入ってからの増加傾向には驚くべきものがある(『野宿者ネットワークニュース』No.6.1998年9月10日、8−9ぺージ)。
図3は、釜ヶ崎にあるあいりん総合センターが就寝場所として開放されていた期間の7月29日、並んで就寝場所を確保しに来た野宿生活者887人に対して、都市生活環境問題研究会が行ったアンケート調査の結果である。1年以上の野宿期間の者23.1%、1ヶ月以上3ヶ月未満、3ヶ月以上6ヶ月未満の者それぞれ23.3%、25.3%と約半数を占める。このように、野宿生活者には、長期野宿生活者グループと今年に入って新規に野宿生活化したグループの2つがあることが分かる。そして、とくに今年に入って、野宿生活者が急増していることが、ここからもうかがえる。

近年における長期にわたる景気の低迷、それにともなう建設不況による日雇い求人数の極度の減少が、野宿生活化の大きな要因である。社会構造研究会の調査(1996年)においては、野宿生活を余儀なくされている理由を聞いたが、その回答は「仕事がない」71名、68.3%が圧倒的であり、次いで「怪我で働けない」17名、15.4%、などとなっていた(社会構造研究会、前掲、44ぺ一ジ)。
なお、実数は不明であるが、いくつかの聞き取り調査によると、建設業以外の他の産業における解雇・リストラそして企業倒産などによって失業し、野宿生活になった者も意外と多い。このように、野宿生活に至る要因は、経済社会的要因が主なものであるが、また親族・家族との離死別やトラブル、病気や怪我による失業や自営業の行き詰まりなど個人生活上の理由などが複雑に絡まっている。
しかし、多くの市民は、野宿生活に至る要因は、その人の性格(怠惰、粗放性など)によって社会に打ち解けないことや、価値観にもとづく本人自らの選択の結果だという捉え方をしている。なるほど、そうした野宿生活者達もいるであろう。しかし、こういった野宿生活者は決して多数派ではない。

(b)野宿生活者の労働・生活
大阪市内の野宿生活者の生活実態について、たとえば大阪市立大学文学部社会学研究室『大阪における野宿生活者問題に関する研究』(1997年)がある。また、社会構造研究会『あいりん地域日雇労働者調査』(1997年)には、釜ヶ崎とその周辺地域で生活していた野宿生活者についての調査が含まれている。これらから、彼らの労働・生活の実態を概観しておこう。
野宿生活者といっても、それは多様である。元来、日雇労働者は就労が不安定であるため簡単に野宿を余儀なくされる。求人の変動により、また屋外労働であるため天候の不良によって、さらに健康を害することによって失業し野宿せざるをえなくなる。したがって、日雇労働生活には、「野宿化」が構造的に組み込まれており、短期の野宿生活者の存在は、ある意味で寄せ場労働市場において当然視されてきた。

だが、日雇労働者の高齢化、日雇労働市場の縮小(求人の持続的減少)の中で、必然的に長期間にわたって野宿せざるを得ない者が創出されてきているのが今日の大きな特徴である。就労日数が短い者ほど1ヶ月の内で野宿経験のある者が多く、また野宿期間も長く、就労日数と野宿期間とは一定の相関関係がある。そして、野宿生活者の中には、野宿生活が長期化し、周辺化して釜ヶ崎と関連を持たなくなった者、あるいは日雇労働の経験が全くないまま野宿生活者となった者など、そのあり方は一様ではない。
野宿生活者の中には、病気・怪我等の理由により就労していない者も存在するものの、上記の建設・土木の日雇労働はもとより、大阪府・大阪市が実施している特別清掃事業、空き缶・段ボールなどの廃品回収などの「労働」により極めて低い水準であるが、収入を得ている者も少なくない。
多くの市民は、野宿生活者は無為に時間を過ごしているというイメージを持っているが、そうした生活を送っている野宿生活者は決して多数派ではない。主要な廃品回収であるアルミ缶はキロ30円、タンボールキロ5円であり、1日歩き回って収集して得られる金額は数100円にすぎない。たとえば、リヤカーに段ボールを目一杯積んで70kgで、収入は350円程度である。多くは、簡易宿所などでの居住を可能にするに足る収入を得ることができない高齢失業者と考えてよいだろう。
野宿生活の「拠点」としての「寝床」が定まっている者が多く、前節で見たように、ダンボール、布団等等を敷くだけの簡易なものからテント・小屋掛け、さらには家財道具を持ち込んだ建築物に近いものまである。そして、これらの「寝床」のあり方の違いは、定住性の高さや野宿期問の長さを推測させる。

衣、食、住は人間の基本的な生活基盤であるが、野宿生活者にとってもきわめて重要なファクターである。特に「食」の確保は、死活問題である。「自炊」、「炊き出し」、「店舗(コンビニ)の廃棄物」、「残飯」などによってまかなわれる場合が多い。釜ヶ崎周辺の野宿生活者では、ボランティア・支援団体による三角公園・四角公園の「炊き出し」を利用する者が多く、この「炊き出し」は彼らの「食」に大きな役割を果たしている。しかし、釜ヶ崎との関連が希薄となっている野宿生活者では、「自炊」などが比較的多くみられる。
その他、水の確保、トイレ、シャワーなどについては、釜ヶ崎とその周辺の野宿生活者の場合、あいりん総合センター内の施設が重要な役割を果たしている。それ以外の地域の者は、公園や駅などの公共施設を利用しているケースが多い。
このようなきわめて過酷で厳しい生活状況、いわば「極貧」の状態のもとでは、健康を損ねざるをえず、中には「死」に至る者も少なくない状態にある。行旅病人数は、1995年大阪市内で1万6566人、西成区だけを取り上げると8517人であったものが翌96年には9515人に増大している。行旅死亡人数は、95年大阪市内全体で191人、西成区で60人(市全体の31.4%)にもなる。高度に発達した先進諸国におけるこの「路上死」の多さの持つ意味は、きわめて重いものがある。


3.福祉施策の問題点と課題
福祉・医療施策は主に大阪市の所管で進められている。生活保護の実施機関である更生相談所(西成保健所分室を併設)、隣保事業を行っている西成市民館がある。これらはいずれも大阪市直営であるが、この他に大阪自彊館に代表される社会福祉法人が運営する生活保護関係施設、大阪府・大阪市の共同出資によって運営されている大阪社会医療センターがある。
釜ヶ崎において単身で暮らす多くの日雇労働者の生活は、早朝に求職活動を行う必要から朝早くに起床し、夜の就寝時間が早いとか、常雇い労働者の生活パターンと異なった面がある。また、日雇労働であることから安定した収入が得られない。さらに、ほとんどが単身で生活を送っていることから、食事の内容に偏りが生じたり、飲酒の習慣を持つ者も多い。とくに、高齢になるにつれ、野宿生活化と背中合わせの生活を余儀なくされており、事実、野宿生活者も多い。このように、彼らは病気に罹りやすい生活環境に置かれている。その上、わずかな疾病・傷病などが原因で、基本的な社会生活(衣食住)に必要な条件を失う危険性の高い生活を余儀なくされている。そのため、福祉・医療等の施策は、一般の施策とは異なった特別なものが必要となる。
他方、釜ヶ崎の日雇労働者は、釜ヶ崎の地区内で生活に必要なモノの多くが手に入るなど、生活上の行動範囲も、この地区内にとどまることが多い。そのため、必要な福祉・医療施設の多くは、地区内かその周辺を中心に設置されてきた。

(a)大阪市立更生相談所の活動
更生相談所では、生活保護施設への入所もしくは入院という限られた範囲・手段での「生活保護相談」と、生活助言指導や住民登録に関する手続きの補助などに至る幅広い相談を行う「生活相談室相談」及び生活ケアセンター事業などの「法外援助」をあわせて行っている。また、年末年始には、大阪市をあげて「越年対策事業」に取り組んでいる。
しかし、こうした施策だけでは、今日の日雇労働者や野宿生活者の多様な要求・福祉ニーズに充分対応しきれなくなっている。
【生活保護相談】
更生相談所は西成区にあって西成区福祉事務所と対象地域や対象者を区分し、生活保護法に基づき釜ヶ崎の住居のない要保護者に対して事業を行っている。したがって、西成区には福祉窓口が2つあり、これは全国的に見てもこの区にしか見られないものである。
その上、全市的な有効な施策が確立されていない中にあって、釜ヶ崎に限定されない日雇労働者や野宿生活者の福祉をカバーせざるを得ない。また、大阪市外・大阪府外の他の行政機関には、これら日雇労働者・野宿生活者への対応窓口がない(あるいは不十分にしか整備されていない)ことを理由に、これらの行政機関からの経由来所者への対応も行わざるを得ない状況にある。こうした事情から、更生相談所では、相当数の日雇労働者・野宿生活者からの相談を受けざるをえない状況にあり、それはややもすると更生相談所の対応能力を超えるものとなっている。
最近の経済不況も手伝って、近年、ますます多くの相談者が更生相談所窓口に足を運ぶことになっている。図3は過去20年間の更生相談所における相談件数の推移を示している。1997年度では、生活相談件数は特に多いわけではないが、生活保護相談に限ってみれば17,434件に達し、過去最高の1974年度(17,582件)に迫る勢いである。
このため、ここ数年更生相談所での相談件数や生活保護施設への入所件数が過去最高の記録を塗り替えている。更生相談所を窓口とする関連施設(19施設)の入所定員数は約2000人であるが、これに対し現在2800人が入所し、すでに飽和状態を越えている。
図5は、生活保護相談者の年齢別構成を示している。これを見ると、高齢者の増加が著しい。今後、さらに高齢化の進行、野宿生活者の増加が予想されることから、入所希望者がますます増加するであろう。
このように、生活保護施設の現状をみても、また今後の中長期の予測からしても、生活保護施設の増設・整備が強く求められている。
【法外援助】
生活保護法以外の事業もいくつか取り組んでいる。その一つに、生活相談室において各種相談にあたる事業がある。これは、生活助言指導、生活費貸与、貸付金返済の相談、住民登録の手続き補助など日雇労働者の日常生活上の困難について相談の応じるものである。これらの相談件数も相当多い。

また、通年的な施策としては、自彊館三徳寮における「生活ケアセンター事業」、同じく自彊寮内における「単泊事業」などがある。「生活ケアセンター」は、一時的に困窮している労働者を対象におおむね2週間を限度とした滞在による健康回復のためのセンターである。これには24区役所からの入所依頼も多く、また困窮者が施設保護に至る前に十分なケアを施すといういわば予防的措置として重要であり、その拡充が求められている。これに対し、「単泊事業」は文字通り一泊だけの宿泊場所と食事などを提供するサービスであるが、ほんのひとときでも心身共に休息のできる機会を多くの労働者に提供しようというものである。
この他、大阪市の取り組み(更生相談所の事業ではないが)として、1971年から「越年対策事業」を実施している。年末年始は厳冬期であり、また仕事のない時期である。その時期に食・柱を得難い労働者を対象に臨時相談窓口を開設して相談を行い、臨時宿泊所での宿泊を行っている。この事業は、近年の景気の停滞とも相まって、相談者数そして宿泊者数の増加傾向が顕著である(宿泊者数は、1996年度約1300人であったのが、97年度には2200人に達した)。この事業は、釜ヶ崎地区の労働者を対象としつつも、今日就労機会の減少の中にあって、この地区に限定されない市内全域を対象としたものにならざるをえず、入所人員枠の拡大など課題が多い。
これらの法外援助施策の必要経費は、国庫補助の対象となっておらず、大阪府・大阪市の単費事業であり、国としての施策の確立と予算措置が求められている。毎年、大阪市と同様の対策事業を行っている関係大都市は、協力して国に対して補助を要望しているが、政府からは具体的な回答はいまだ得られていない。

(b)社会福祉施設と日雇労働者
生活保護法に基づき、いくつかの社会福祉法人が高齢化し、また障害により働けなくなった釜ヶ崎労働者を受け入れている。それらの施設の中で、大阪自彊館は歴史的にまたその立地場所からして、釜ヶ崎労働者ときわめて大きな関わり合いを持っている。
特に、釜ヶ崎のほぼ中央に位置する三徳寮は、生活保護法に基づく施設保護だけに限らず、大阪市の補助事業として生活ケアセンター事業、地区巡回相談事業を実施し、釜ヶ崎労働者が憩える場所として新今宮文庫(大阪市委託事業)、談話室などを設置している。
特に生活ケアセンター事業は、住居がなく一時的な援護を求める野宿生活者にとっては、きわめて重要な施策であるが、現在定員20名にすぎず、受け入れ規模の拡大が望まれる。しかし、この事業は地方公共団体単独の事業であることから、事業拡大には国の財政援助を必要とする。

(C)福祉施策の問題点と課題
釜ヶ崎の日雇労働者の高齢化が進む中で、要保護者の増加がみられ、今後一層増加することが予測される。また野宿生活者においても高齢者が数多くみられ、要保護対象者となる可能性のある者は多い。
現在の大阪市の生活保護行政は、住居を持たない日雇労働者・野宿生活者に対しては入院、施設保護を原則とした運用方法で行っている。施設保護の需要に適合した施設整備を図っていくことが必要となり、大阪市は生活保護施設整備を順次進めてきた。しかし、大阪市のこのような今日の生活保護の運用のあり方も、施設が慢性的にほぼ満員の状態からして限界が見え始めてきている。
施設・病院などへの入所・入院待ちの労働者たちが、収入がほぼない状態となり、野宿生活化しているケースが多く見られる。このことから、より一層多くの生活保護施設の増設が強く望まれる。他方、生活保護で入院した者が退院した後や施設の退所後、所得がほぼ無い状態であるため、いきなり野宿生活に陥る者も数多い。

今日の生活保護制度は、住居を持たない日雇労働者・野宿生活者が直ちに居宅保護を受けられるような制度になっていない。また、大阪では簡易宿所での保護いわゆる「ドヤ保護」が運用上認められていないため、野宿せざるをえないのである。したがって、居宅保護の運用方法の変更が検討される必要があろう。
まずは、生活保護施設入居者の中で日常生活を営むことが可能となった者を居宅生活に移行させるための措置を講ずることである。大阪市では、98年7月に入って概ね月10人程度を目安に施設入所者に敷金を支給する方針が打ち出された。今後より一層この範囲等の拡大が求められている。しかし、今日のように大阪市全域にわたって野宿生活者が激増し、要保護対象者が増加している中にあっては、一時的対処方法として「ドヤ保護」を実施する運用方法への転換を探る必要性があるだろう。それには、簡易宿所の生活設備の改善を指導し、居宅保護適用の水準まで引き上げていく必要がある。同時に、十分な自立支援・生活指導が行えるように、ケースワーカー・看護婦などの人的配置がなされる必要があることはいうまでもない。

「ドヤ保護」はすでに東京・山谷や横浜・寿町などで実施されている。大阪市においてはドヤの各部屋の設備が居宅保護適用の水準にないこと(いわゆる居住要件)を理由として、それを実施していない。しかし、生活保護法そのものでは居住要件については述べられていず、厚生省の指導あるいは大阪市の独自判断のもと居住要件を満たす必要を課しているにすぎない。規定通りの運用により、「ドヤ保護」を実施することは可能なのではないだろうか(この点についは、庄谷怜子『現代の貧困の諸相と公的扶助』啓文社、1996年、193ぺ一ジ参照)。
だが、そうは言っても全国の大都市の中で最も多くの日雇労働者や野宿生活者を抱え、要保護対象者が相当数いると予想されるこの大阪で、実際に「ドヤ保護」を実施したらその対象者が相当数に達し、大阪市の財政負担は一層増大し、相当な困難が予測される。
すでに何度も指摘しているように、高齢日雇労働者問題や野宿生活者の増加といった問題は大都市において発現しているとはいえ、その要因は日本全体の経済社会的なものにあることを考えれば、何よりも日本政府がその財政負担を行うべきである。こうした多くの要保護予備軍を抱える大都市自治体は、政府に対して強く財政的補助を求めていかなければならない。
また、要保護者の自立支援策を講じる必要もある。その際、行政側の職員やケースワーカーだけでなく、ボランティア団体などとの協働を図っていく方向が求められている。そして、一時的生活困窮者を救護する生活ケアセンター事業の拡大が望まれる。この場合、野宿生活者が市域全体に広がっていることを考慮して、市内各地にケアセンターを設けることも必要である。
さらに、日雇労働者の高齢化が進む状況のもとで、老後を釜ヶ崎で過ごさざるを得ない元日雇労働者であった高齢者も生まれてきており、今日進められている高齢者に対する様々な福祉サービスを享受できるようにすることもまた必要となっている。現状では、釜ヶ崎の高齢者、そして広く野宿生活をしている高齢者は、介護をはじめとする福祉サービスから事実上排除されている。

西成区は、大阪市高齢者保健福祉計画のモデル区である。97年12月に介護保険法が成立した。その問題点・課題等に関してはここでは問わないが、高齢者の様々なサービスが保険方式で提供される時代となった。医療保険や公的年金、退職金といった老後生活を支える基盤のまったくない彼らも、生存権保障の視点から見れば、サービスを受ける権利をもっていよう。そのためには、在宅福祉サービスの前提条件である「住居」を広くとらえ、簡易宿所なども視野に入れたサービス提供の仕組みを構築する時期に来ている。