<資料1> あいりん地域について
1.沿革
古来、この地域は、紀州街道沿いにあった小集落の一つとして、なにわ江の渚が続く「難波の名呉の浜」と呼ばれた漁村であった。
この地域が現在のような日雇労働市場を形成するのは、明治以降のことである。
大阪市内においては、明治期半ばまで、現在の日本橋3〜5丁目付近(当時長町と呼ばれていた地域)に、長町スラムという府下最大のスラム街があったが、明治36年の第5回内国勧業博覧会が、現在の天王寺公園・新世界一帯で開催されることに関連して、宿屋営業取締規則(明治31年)が制定され、この長町スラムが取り壊された。長町スラムにあった木賃宿は釜ヶ崎と呼ばれる一帯へ流入し、日雇労働市場もまたこの地域に移り、現在の原型が出来上がった。

明治期から昭和初期にかけて、大阪は、経済の中心としての機能が格段に増大し、港湾の発展、交通網の整備等により、人的資源に対する需要が増え、都市部への流入人口が飛躍的に増加していった。また、拡大する労働需要に対し求人者が簡易に単純労働力を集める手段として、この地域での求人が一般化した。
木賃宿や労働者、求人者の集中、そして新たな労働者の流入ということを繰り返し釜ヶ崎は日雇労働市場へと拡大していった。
さらに、戦後においては、その復興期の建設需要と高度経済成長による港湾・運輸需要の増大により、この地域の日雇労働市場は一層の拡大をみせた。
また、木賃宿は、より収容数の多い簡易宿所に姿を変え、職を求める人々の流入は過去にもまして多くなっていった。
一方、所得の向上や、公的住宅の建設と低所得世帯に対する行政施策が充実したことから、地域内の世帯持ちが劣悪な住環境からの脱却を図って減少し、行政施策の対象となりにくい、単身の不定住者の増加が目立つようになった。

現在では、この地域は、かつての生活困難な世帯等の集合体というよりも全国から流入してくる単身者の求職や生活の拠点に変化し、それに対応した公的施設や簡易宿所・飲食店・コインランドリーなどが集中する日雇労働者の街といった様相を呈している。
なお、地域おいては、昭和36年8月の第1次暴動以降、現在まで23次にわたる暴動が発生している。
第1次の暴動以降、地域住民、関係団体等の地域活動、関係行政機関等による(財)西成労働福祉センターの設立(昭和37年10月)やあいりん総合センター(同45年10月設置)などを中心とした各種行政施策などにより地域対策の充実が図られてきた。
昭和48年6月の第21次暴動以後は、暴動の発生を見ることなく平穏に推移していたが、平成2年10月に第22次暴動が発生し、平成4年10月には第23次暴動が発生している。
釜ヶ崎という地名は、昭和33年に「字水渡釜ヶ崎」「字釜ヶ崎」の地名が町名改称され、浪速区水崎町の一部になったことにより公の地名としては消滅したが、現在も俗称として残存している。
「あいりん」という名称は、昭和41年の第1回あいりん対策三者連絡協議会において、行政施策上の呼称として決定されている。

2.現況
1)地勢・範囲
この地域は、大阪都心部に隣接する西成区の北東に位置している。
地域内には、JR一と南海が交差する新今宮駅を始め地下鉄動物園前駅、阪堺電車南霞町駅などがあり、国道26号線や尼崎平野線など主要幹線道路が行き交う交通の要衝にある。近年は、阿倍野再開発や霞町開発など隣接する地域の開発が進んでいる。
その範囲は、ほぼ800メートル四方にすぎない僅少な地域であるが、その地域性は、堺筋を挟んで更に東西2地域に分けることができる。
東部地域は、木造賃貸住宅が多く、また地域内を商店街が通るなど、どちらかといえば、住宅・商業地域を形成しており、大阪の下町風情を色濃く残している地域である。
西部地域は、高層の簡易宿所が林立し、労働者相手の飲食店やコインランドリーなどの商店や露店が軒を連ねており、地域対策を目的とした関係施設の多くが集中している。

2)人口
a.住民人口
平成7年の国勢調査によると、この地域の人口は、男性22,183人、女性5,781人、総数27,964人である。
総数 男性 女性
昭和55年 25,682人 18,485人 7,197人
昭和60年 26,379人 19,847人 6,532人
平成2年 30,745人 25,118人 5,627人
平成7年 27,964人 22,183人 5,781人
1世帯当たりの人員(世帯数:22,067世帯)は、1.27人で、男女構成比は、男性が79.3%に達している。
特に萩之茶屋地域では、男性が91.9%に達しており、男性単身者の集中が大きな特徴となっている。(大阪市全体の同構成比:男性49.3%)
1平方キロメートル当たりの人口密度は、38,280人と、西成区19,301人の1.98倍、大阪市11,793人の3.25倍と高い数値になっている。
また、高齢化が進展しており、65歳以上の人口構成比は、平成2年の10.6%(3,269人)から平成7年の15.3%(4,292人)へと増加している。
あいりん総合対策検討委員会『あいりん地域の中長期的なあり方』1998年2月、2〜4ぺージから抜粋。