第2章 大阪における日雇労働の実態と労働対策
1.あいりん地区日雇労働の実態
(a)建設業と日雇労働者
建設産業では、一般に重層下請け構造と呼ばれるように、ゼネコンを頂点に下請け企業による階層的な請負構造ができあがっている。その末端に人夫出し業者が存在し、日雇労働者はこうした人夫出し業者によって日々雇用され、また一定期間飯場に入ってそこから建設現場に派遣される。
なお、労働法では、建設業での労働者派遣事業は禁止されており、現在国会で審議されている労働者派遣法改正においても、基本的にこの方針は変わらない。しかし、実態として、建設業での労働者派遣(労働者供給)事業は戦前から続けられてきている。

建設業では、1975〜80年頃約50万人いた日雇労働者は1996年には約30万人へと減少している(『労働力調査年報』各年版)。この約30万人のうち、「寄せ場」(注6)を求職の拠点にし、定住場所を持たずに簡易宿所で暮らしたり飯場を渡り歩く日雇労働者は、約5万人(うち雇用保険被保険者手帳保持者は3万5000人)いると推定されている。最大の寄せ場を持つ大阪釜ヶ崎に約2万人、ついで東京山谷に約6000人、横浜寿町約5000人、川崎約2000人、名古屋笹島約1000人の日雇労働者がいるといわれる。
釜ヶ崎における日雇労働者数を正確に把握することは困難である。しかし、あいりん労働公共職業安定所発行の雇用保険被保険者手帳保持者を1つの参考数値としてみると、1998年3月末で1万5032人となっている。1986年夏には2万4458人で最も多くの手帳保持者がいたが、その後減少傾向となり、90年代はおよそ1万3000〜1万5000人で推移してきた。手帳保持者以外の日雇労働者の実数は不明だが、およそ5000人と推定されている。
また、釜ヶ崎日雇労働者は全国から集まってきた労働者たちである。表1は、都市生活環境問題研究会によって98年7月にあいりん総合センター周辺で実施した聞き取り調査の結果である。これによれば、出身地域は全国に及びとくに九州出身者の多いのが目立つ。また、日雇労働に従事する前の仕事をどこで行っていたかを聞いた「直前職在住地域」では、大阪府が30.3%、その他近畿地方が15.8%と約半数を占めるとはいえ、東京都や九州など全国にわたっている。

次に、日雇労働者の雇用形態について、見ておこう。これらの日雇労働者は、「寄せ場」で求人業者と労働者が直接交渉によって雇用契約を取り結び(「相対方式」(注7))、仕事を確保する。あるいは、新聞広告などによっても仕事を見つけることができる。その日1日の日帰り仕事を「現金」、飯場(作業員宿所)に一定期間泊まり込んで、労働現場に通う仕事を「契約」と呼んでいる。この「契約」仕事の場合、労働現場は近畿圏を中心に東海・北陸地方から中国・四国までかなりの広域に渡っている。
この他、日雇労働者が直接業者と連絡を取って就労する「直行」、西成労働福祉センターによる「契約」仕事の紹介である「窓口紹介」といった求職ルートもある。
図1は、「現金」仕事の紹介状況の推移である。建設業が1977年以降圧倒的な割合を占めるに至り、1996年では95.6%にまで達している。また、景気変動とくに建設業の好不況にともなって大きく労働力需要も変動することを、この図は示している。しかし、阪神淡路大震災の起きた95年には一時的に求人が増加し延べ126.0万人の紹介があったが、97年には75.8万人へと2年間で60.2%の水準にまで減少した。この減少傾向は、今後も続くと予測されている。建設業の好不況が、釜ヶ崎日雇労働者の就労を左右し、また彼らの生活に大いな影響を及ぼしている。
次に、釜ヶ崎日雇労働者の職種別構成をみておこう。1996年度の「現金」仕事の求人・紹介者数の職種別割合をみると、土工68.3%、鉄筋工11.5%、鳶工5.4%、大工4.2%、その他職人10.6%など(西成労働福祉センター『1996年度の事業報告』1997年)となっている。熟練工もいるが、ほとんどが単純作業や肉体労働に従事する一般土工である。しかし、建設業では、急速な機械化の進展や業界全体における効率化の追求が進み、一般土工への需要を減少させてきている。これが、釜ヶ崎日雇労働者にとっては、仕事の減少の一つの要因となっている。
他方、一般土工の仕事は体力勝負のものが多く、また、一般に求人業者は55歳の年齢制限を暗黙に取り決めているところが多い。これらを理由として、高齢日雇労働者は仕事に就ける機会はきわめて少なくなっている。


(b)就労実態と失業
日雇労働者の1日は朝4時〜5時頃から始まる。あいりん総合センターのシャッターが開く午前5時頃に「寄せ場」に出向き、求職活動を行う。午前6時頃、「現金」仕事の場合には募集定員に達し、マイクロバス等の車が出発していく。しかし、求人数が少なく、求人用のマイクロバスの数が減った昨今では、センターのシャッターが開く1時間前(午前4時頃)には労働者たちが「是が非でも仕事を」と早々と集まり、5時には業者が乗り付けてきたマイクロバスはセンターを出発していく状況になっている。
労働者たちを乗せたマイクロバスは、いったん人夫出し業者の事務所により、その後建設現場へと向かう。ようやく8時になって仕事が始まる。終了が17時で、それからその日1日の給与を受け取って(あるいはいったん業者の事務所に立ち寄ってそこで給与をもらい)最寄りの駅から電車に乗り釜ヶ崎まで帰る。そうすると釜ヶ崎に着くのが18〜19時となる。このように、彼らの拘束時間は実に12時間以上に及ぶ。
釜ヶ崎に帰ると、地域内の飲食店で夕食を済ませ、簡易宿所へ向かう。翌朝仕事に行く場合には21時頃には寝床に就く。「現金」仕事の場合、翌日は、昨日とは異なった現場に行くことも多い。
建設日雇労働者の1日をラフにスケッチしたが、彼らの仕事世界では、恒常的な雇用関係が形成されず、そしてまた人間関係も自ずと希薄にならざるを得ない。

次に、収入と就労日数を見ておこう。
釜ヶ崎日雇労働者の賃金日額は、1996年「現金」仕事(=日々雇用)では、一般土工13,488円、型枠大工20,510円、鳶工20,201円などとなっており、技能工が高くなっている。1ヶ月の就労日数は、白手帳保持者の場合、13〜15日が多く、20日以上就労している者は少ない。これは、雇用保険における日雇労働求職者給付金(失業給付)の受給資格要件が影響しているものと考えられる。すなわち、受給資格は、失業の日の属する前の月2ヶ月間に印紙保険料を26日分以上納付していることが要件となっている。受給資格者は、印紙納付枚数に応じて13〜17日分までの失業給付が受給できる。なお、1996年度のあいりん労働公共職業安定所における平均給付日数は、10.9日/月となっている。
あいりん総合対策検討委員会の報告書『あいりん地域における中長期的なあり方』(1998年2月)による試算では、一般土工の白手帳保持者の1ヶ月の収入は次のようになっている。
13,500円×13日十7,500円×11日=258,000円(13日就労、日額13,500円、11日分の失業給付1級を受給の場合)となり、13日の就労で、単身生活を維持するには相応の月収額となる。

しかし、97年から98年にかけての不況は、この就労日数さえ十分に確保できない労働者の増加をもたらしている。図2はこの3年間における「現金」仕事の求人・紹介者数の月ごとの変化を示している。1997年度の日雇求人・紹介は、1日平均254件、2,351人で、前年度287件、3,225人に比べ、33件(11.5%)、874人(27.1%)の大きな減少となった。この減少傾向は、98年度に入って更に深刻となっている。また、この図では、これまで見られた求人・紹介件数の季節的変動が97年にはほとんど見られなくなっている。釜ヶ崎労働者の求人のあり方が構造的に変化してきているということだろうか。
他方、飯場などの求人業者の寄宿舎に在籍する日雇労働者数も、あいりん労働福祉センターの調査によると減少傾向にあり、寄宿舎の在籍率は97年8月では63.8%、98年8月では56.2%であった(西成労働福祉センター『寄宿舎在籍人員調査報告書』1997年、同『寄宿舎状況調査報告書』1998年)。
さらに、労働市場全体のフロー化の流れの中で、他産業部門から建設業への人材派遣業者の参入がみられ、日雇労働者供給事業も過当競争の時代を迎えている。このため、また不況の深刻化と相まって、賃金日額の切り下げが進んでいる(前記『調査』に携わった西成労働福祉センター職員の談)。

以上、釜ヶ崎の日雇労働者の雇用を取り巻く状況を見てきた。しかし、雇用状況改善の糸口はみられず、今後は一層の厳しさが予想されている。建設業全体の雇用動向から、その点をみておこう。
建設業全体では、バブル経済とその崩壊以降も増加してきた就業者数は97年8月に700万人のピークに達したが、半年後の98年2月には一転して668万人へと32万人減少した。短期間に急激な減少を見せたが、富士総合研究所の予測では、98年度から3年間にさらに約69万人が減少するという。しかも、バブル崩壊以降製造業で職を失った労働者の受け皿となった建設業で、景気のさらなる悪化にともない、改めて失職する者が増えているという(『日本経済新聞』1998年3月25日)。
まさにこうした事態が、仕事にアブレる日雇労働者の増加をもたらしているのであ
る。そして、とくに中高齢労働者を慢性的な失業状態に追い込んでいる。その上、彼らは、常用労働者の失業者と異なって、雇用保険制度からも見放された状況に追いやられている。


(C)高齢化する日雇労働者
雇用保険被保険者手帳保持者の平均年齢は、1990年3月末で46.4歳であったものが、1998年3月末では53.7歳へと上昇し、高齢化が著しい。人夫出し業者には55歳で年齢制限しているところが多く、このことから多くの高齢者が慢性的に仕事に就けない状況が生まれている。
たとえば、社会構造研究会の96年9月調査によれば、調査の1ヶ月前の期間に1日以上の仕事に就けた労働者291名について、失業給付の受給資格要件に匹敵する月13日以上就労した者の年齢階層別の割合を調べている。その結果、高齢者になるほどその割合は低くなり、55歳以上60歳未満34.3%、60歳以上65歳未満26.5%などとなっており、高齢者の仕事に就ける可能性は低くなり、もちろん失業給付から見放される者も増えてくる(社会構造研究会『あいりん地域日雇労働者調査』1997年、28ぺ一ジ。なお、同調査では、これとは別に調査の1ヶ月前の期間に1日も仕事に就けなかった労働者が170名、全調査対象者の37%を占めていたことも忘れてはならない)。
近年の建設不況が、高齢日雇労働者の慢性的失業の傾向に一層拍車をかけている。その意味で、高齢者の雇用確保がきわめて重要な課題となっている。
高齢労働者向けの緊急の就労保障対策として、大阪府・大阪市は「高齢日雇労働者特別清掃事業」を実施し、高齢者の生活の安定に一定効果があったとはいえ、その事業規模は就労希望者数に対して圧倒的に少なく、登録労働者は、月平均1〜2回しか就労できないでいる。今後、事業規模の拡大が望まれる。
このように、バブル経済崩壊以降、釜ヶ崎の日雇労働者像と彼らを取り巻く雇用環境は大きく変化してきている。すなわち、慢性的な仕事不足、「寄せ場」としての労働市場機能の低下、高齢日雇労働者の増加と彼らの労働市場からの締め出しが進んでいるのである。


2.現行の労働対策
釜ヶ崎には、労働対策を実施している機関として(財)西成労働福祉センターとあいりん労働公共職業安定所がある。また、大阪府・大阪市による「高齢日雇労働者特別清掃事業」が行われている。以下では、それぞれの事業を紹介していこう。

(a)(財)西成労働福祉センター
西成労働福祉センターでは、無料職業紹介事業、労働相談事業、業者指導そして福祉厚生事業を実施している。
【無料職業紹介事業】
届け出された求人情報を記載したプラカードを求人者に交付し、それをもとに求職者と直接交渉して雇用契約を結ぶ「相対紹介」や、期間雇用や有技能者を対象に求人票を窓口に公開掲示し、希望者を募り紹介する「窓口紹介」の2方式により求人を行っている。
【労働相談事業】
求人や就労において生じたトラブルの相談や苦情処理を行っており、主な相談内容は賃金未払い、雇用契約上の相違、暴行などで、年間取扱い件数は、新規・継続をあわせて年間1万件を超えている。
【業者指導】
求人事業所に対し、無届け事業所への登録指導や労働相談のあった事業所への労働条件改善指導などを行っている。
【福利厚生事業】
常用労働者と異なって、日雇労働者には夏期及び年末の一時金支給がなかったことに対し、現地の労働組合「全港湾建設支部西成分会」から支給への強い要求があった。これを受けて、1971年以降、日雇労働者に対し、福利厚生の観点から大阪府・大阪市・建設業界の資金協力の下に「モチ代(冬季一時金)」「ソーメン代(夏季一時金)」を支給する給付事業を行っている。
また、労働災害により就労が困難となり、生活が困窮している労働者に対し、労災休業補償給付の一部立替貸付を行っている。その他、就労を前提とする労働者に対し、労働相談以外の健康・生活などに関わる相談事業を行っている。

(b)あいりん労働公共職業安定所
雇用保険日雇労働被保険者手帳の発行と失業給付金(アブレ手当)の給付の業務を行っている。また、職業資格試験の受験者の募集、建設業で仕事をする上で必要な技能の講習などの業務を行っている。これらは、常用化の促進を目的としているが、実際には日雇い就労の安定化に効果を発揮しているとはいえ、常用化にはつながっていない。

(C)高齢日雇労働者特別清掃事業
1994年から、大阪府・大阪市がそれぞれ独自に、高齢者特別清掃事業を実施し、高齢者への雇用機会の提供と地域の環境整備の2つを目的として、取り組まれている。いずれも西成労働福祉センターを紹介窓口としつつ、大阪市にあっては大阪自彊館に委託してあいりん地区内生活道路清掃作業を実施し、大阪府においては大阪環境整備(株)に委託してあいりん総合センター内の清掃作業を行っている。
手取り賃金日額は5700円であるが、多くの高齢労働者が登録しており、実際にそれぞれの労働者が清掃事業の仕事に就ける機会は1ヶ月に1〜2回しか回ってこない。こうした事業がさらに拡大されることが望ましい。


3.現行労働対策の問題点と課題
以上のような事業を労働対策として実施しているが、これらの対策には4つの問題点があると考えられる。順に検討し、改善の課題も合わせて述べていこう。

(a)職業紹介制度の問題点
現行の「相対方式」による職業紹介方式は、かつての高度経済成長期のように大量求人・大量求職の時代には、短期間に集中的に紹介業務を処理する上で、有効な方式であった。しかし、今日の労働者の高齢化や労働力の買い手市場が一般化している社会状況の中では、高齢者が排除されたり、不正雇用に対し行政の監視が行き届かなくなったりするなど、いくつかの問題点がある。
今後は、輪番制による職業紹介や行政の求人支援も含めた集中的な高齢者職業紹介事業を行うなどの見直し・改善を行う必要がある。加えて、事業所へ適正な求人活動が行われるよう、労働基準監督署等の他の行政機関とも連携し、より工夫されたきめ細かな指導を行うことも求められている。

(b)雇用保険制度の問題点
現行の日雇雇用保険制度は、日々就労すること(2ヶ月間に26日以上の就労があってはじめて、翌月に給付受給の資格が発生する)を前提とした制度であるが、今日のように求人数が減少し高齢化が進行する中で、結果的に就労日数が不足し、失業給付の受給要件に満たないケースが多く見られるようになっている。また、労働者の退職時や転職時における何らかの援助給付がないことも問題である。
今後は、まず第1に、日雇雇用保険制度の受給資格となる就労日数の短縮や、就労実績を前2ヶ月間についてみることからいっそう長期にわたって評価することなど、柔軟な運用が図られるよう検討が求められる。第2に、日雇労働者の老後も配慮して、現行建設業退職金共済制度への加入と適正な運営はもとより、行政がリードして退職金と年金を加味した新たな制度の創設も考えるべきであろう。
さらに、根本的には、常用労働者に限定されている雇用保険4事業の日雇労働者への柔軟な適用の道を開くことも、考えられてよいのではないだろうか。常用労働者の場合、雇用保険制度によって、「失業給付」(求職者給付の他に就労促進給付、雇用継続給付がある)、雇用調整助成金などの「雇用安定事業」、職業訓練施設の設置どの「能力開発事業」、そして雇用促進住宅などの「雇用福祉事業」の4事業がある。常用労働者よりもさらに不安定な立場にある日雇労働者は、こうした制度の対象外として排除されている。このこと自体、非常に大きな問題ではないだろうか。

(C)高齢労働者対策
釜ヶ崎日雇労働者の状況は、雇用機会の減少の他、技能を有していない労働者が多くまた高齢化が進んでいることにあった。こうした状況に対応するため高齢日雇労働者特別清掃事業が実施されているが、これは地域住民や関係団体からも一定評価を受けている。他方、多くの登録労働者を抱え、それぞれの労働者が特別清掃事業に就労できる機会は20日ないし1ヶ月に1度にすぎないという状況である。したがって、今後さらにこの事業の拡大が望まれる。また、この事業以外にも高齢者向けの就労開拓、たとえばリサイクル事業などの展開なども求められる。
しかし、これらの高齢労働者対策は、肉体的・精神的に就労可能なものを対象にしたものであり、これらの労働対策とあわせて福祉・医療施策そして居住権保障などの総合的な政策の一環として位置づけられることが重要である。

(d)事業所・業界団体への対応
釜ヶ崎の圧倒的に多くの労働者が景気変動の波を直接に受けやすい建設業関係に従事しており、その偏りが労働者の就労・生活に大きな影響を与えている。建設業界では法令等に基づき雇用改善や能力開発等の事業が実施されているというものの、日雇労働者が多く働く小規模・零細事業所では雇用管理が十分とは決して言い難い状況にある。こうした事態を少しでも改善するためには、業界自身の社会的自覚と責任はもとより、行政においても業界団体や元請けに対する啓発指導や各種保険制度への加入促進を図るなど、制度にもとづいた労働者の雇用改善を図ることが一層必要である。