こんにちは、釜ヶ崎支援機構の松繁と申します。よろしくお願いします。吉村理事長のお話の中で評判がよろしかった山田がお話に来る予定でしたが、本日、長居公園で野宿生活者の避難所をつくるにあたり、説明会がございます。そこで、少しでもできる事があればという事で、NPOから山田が行っております。今日は代わりまして、私があいりん地域の現状についてお話させていただきます。
私は商業高校を出まして会計事務所に1年勤めた経験があります。また日雇労働者として20年ほど生活してきました。今回NPOを立ち上げる関係で、事務の経験をかわれ、毎日150人の賃金を支払い、帳簿を付けるという事をしています。
特定非営利活動法人 釜ヶ崎支援機構は、野宿生活者と野宿に至るおそれのある人を支援するという事で出発しました。その主な事業は、大阪市や府から事業委託されています就労機会提供事業というものです。これに手がかかっていたのですが、もう少し福祉的なこともしなければと、最近は福祉相談を行っています。
65歳以上の方の居宅保護申請のお手伝いをする。就労機会提供事業では、西成労働福祉センターに登録している55歳以上の労働者が、輪番制で紹介されて、朝の受付に来るわけです。野宿をしている人が多く、この人はもう就労できる体調じゃないというような人もいるわけです。そういう人を市更相へ連れて行く。ケアセンターでお世話になったり、医療センターで精密検査を受けた結果、大腸から出血してたという人は、今入院して危篤状態になっている。そういう人たちを福祉部門で何とか手助けすることができればとやっているわけですが、中にはもうどうしようもないなという人もいるわけです。皆さんもあいりん地域を抱える西成の中で仕事をしていると、こんなん蹴飛ばしてクイクイっとひねって成仏させた方が早いんちゃうか、と思うときもあると思うんですね。
最近、私が関わったケースでこんな人がいました。西成公園に野宿していた人ですが、半年前、仲間と公園前の路上で酒盛りしている最中に脳の血管が破裂し、救急車で運ばれ、病院で治療を受けます。それから病院を転々として、結局、病院を放り出されて野宿になる。左半身不随で車椅子に乗らないと移動できない状態ですが、病院を放り出され、NPOの事務所に相談に来られました。早速、市更相の方と相談してA病院に入院しました。けれども、1週間しかもたない。何でもたないのかというと、本人タバコが好きで、決められた場所以外の所でも吸う。吸っていないとイライラして身体を動かし続ける。タバコの吸殻をきちんと捨てればいいのですが、火をつけたまま飛ばすというわけです。病院ではこの人が車椅子で動くと職員が付いて回らないといけない。火事でも起きたら大変というわけです。それで一度会いに来て下さいという事で、市更相の担当者と行きました。5月の連休の前です。「アンタ、こんな事してたらここを放り出されるよ、放り出された後どないすんねん」と言って説教しました。病院のケースワーカーに、これでしばらくおとなしくするでしょうからよろしくお願いしますと言ったら、「えっ、なんちゅう事を言うんです。今から休み体制なのに、今日連れて帰るために来たのとのと違いますの」と怒られました。それで市更相の担当者が転院先を探したのですが、5件の病院に断られ、施設に入れようとしても、すぐ施設というのは無理で、結局市更相へ連れ戻るしか行き所ないわけです。市更相に帰っても寝泊りするところがあるわけではないし、市更相も連休に入るわけです。行きがかり上、本人の日用品費のお金がまだ残っているということで、それで連休の間生活して、連休明けに行き場所を探しましょう、それまでは支援機構で何とかします、ということになりました。
我が方で面倒見るよとカッコええ事を言ったものの、アパートにいったん入れて、トイレから食事の世話をするわけですけれども、やっぱりわがままなんです。6カ月前に半身不随になった。口も達者で、経歴を聞いたらテキヤをやったことがあるという、立て板に水でしゃべりだしたら止まらない、要求もしっかり言える。加えて肉体労働者としてもう一回立ち直れるという気もあるわけです。「あんたの病気絶対直らん。半身不随になってリハビリしてもう一回働けると思ってるのは間違いや」と言っても、「いや、点滴したら治るんや」と自分の現状に立ち向かえないタイプになっているのです。こういうタイプにはどうしたらいいかわからなくなる。酒でも飲ましてもう一回脳をプッツンして、言葉も身体ももうちょっと動きづらくなったらみんな面倒見てくれるかなと思ったり、人権もなにも無いわけなんで・・・。まあしかし、一般論でなく、そういう個別事例にぶつかると自分の都合に合わせて相手を判断しやすいし、対処するようになるんです。
その辺、吉村理事長は年の功ですね。自分の立場で見るよりも寝て見たら違ったものが見える、なんて。私も日雇いを20年やっておりましたが、こういうふうに事務仕事にしばられながら、自分で少しだけど人の日常行動をお手伝いする立場になると、自分の尺度に合わない、扱いにくいものはどうしようもないと切って捨てざるを得ない。これは誠に悔しいところでもあるんです。その人も介護システムを上手くつければ、タバコさえ辛抱できたら施設に入らなくてもアパートで生活できる。本当はアパート生活に向いているかも知れないわけです。便と食事の介護さえつければ後は放し飼いでそこらへんうろうろさせておけばいい、当人が、車椅子の後ろに人がついて回ることを拒否しますから。ただ、そこまで私達が踏み込めない。
今、釜ヶ崎にはたくさんの野宿者がいるので、福祉アパートといいますか、ドヤがアパートに転業した所へ率先して人を入れています。、萩之茶屋二丁目の通りに3ヶ所あります。300世帯になります。。そのうち2つがほぼ満杯で200人いる。その中に介護申請している人が一人いるわけなんです。アパートにある程度面倒見てくれるスタッフがいて、介護保険を活用してヘルパーさんを頼む。そういう形をとれれば、手間のかかる人もアパートで生活できる。病院や施設とか言うと、やっぱり集団の管理の中で守らんといかん規則というのはある。それを外したアパートでなら多分、その人は適応できたであろう。ただ私の方に力が無い、その人を抱え込む勇気が無い。人手も足りませんし、世話するとなると朝7時から夜中の10時くらいまで、ときどき覗きに行ってどうしてるのかと見なければならない。
今、そういう人が3人いる。ひとりは痴呆の人で、自分が帰る場所がわからない。その人は年金があってお金を持っているのですが、記憶が飛んでしまってお金の管理ができない。毎日朝2,000円渡して、お昼に1,000円、夕方に1,000円渡してご飯を食べていただいている。渡すタイミングがずれたりすると、お金が無いから天王寺で野宿する。もうひとりは脳梗塞で、右半身不随で介護支援をしている。最後の方は15万円持っていて野宿しています。アルミ缶を集めて、うどん玉を買ってきてしょう油をかけてすすっている。
そういう人を3〜4人かかえますと、スタッフはてんやわんやになるわけです。「おっ、あの人表に出た、ついて行って」「あの人にはお金渡したか? 今日飯食ったか見に行ったか?」ということをやっているわけです。その中にひとり、ふたりでもまた手のかかる人が入ってくると、もう首をクイっとしたほうが楽なんちゃうかという気にもなる。ですがそうであってはならないんですね。問題は手のかかる人の側にあるのでなく、私たちの側にある。
高齢化の問題ですね。大阪市内の中でとりわけて釜ヶ崎の高齢者は多いわけです。他の区ですと高齢者の男女比というものは女性の方が倍以上あるのが当たり前なんですが、西成区については男女がほぼ同数になっています。この理由は単純で、釜ヶ崎があるからなんです。釜ヶ崎に単身の高齢者がたくさんいるから西成区全域の数字に反映しているということなんです。これは釜ヶ崎が単身男性の日雇い労働者を吸収してきた街であるという事を意味しています。
また、市更相に連れて行って「あんた、ここへ何を相談にきたん」とケースワーカーに聞かれて答えられない人がいます。「さぁ、何で来たんやろう」「で、あんた本籍何処なん」と聞かれてもわからない人がおる。そういう人に対する、相談者の高齢化に対応した新しいシステムが無いわけですね。
市更相は、現役の日雇い労働者が日々の雇用が不安定で、雨が3日も降ったら寝るとこ、泊まるとこが無いという人たちの応急の相談所としてあるわけです。これまでは、相談にきた人に、医療センターに行っておいで、何々しておいでと言ったら自分でしゃかしゃかやって、また戻ってきた。けれども、最近は、何の相談に来たんやといってもわからん、医療センター、どこにあるん? 医療センターに着いたら帰って来れない人も増えているんですよ。
釜ヶ崎で今、高齢日雇い労働者の就労をやっていますが、半分以上が65歳以上の登録です。また半分以上は野宿している人が来ています。ともかく、仕事を与えなければその人たちは生き甲斐がもてない。仕事を与える事によって、その人の生活感覚を戻さないと普通の生活に戻っていけないわけです。釜ヶ崎で福祉対策をやる場合には、ただ単に住む所を確保すればいいという事ではなくて、その人が生きる感覚を持てる仕事を提供するのでなければ、何の対策にもならない。長居公園で野宿している人たちほとんどが釜ヶ崎の労働者で、仕事が無くて長居に住んでいます。
市大の聞き取り調査に一緒に行ったことがあります。そこで、「実はわしがここへ居るんはええことやと思えへんけども、カマで仕事が無くなってフラフラここへ歩いてきたらテントがいっぱいあったんや。いろいろ話し聞いたらアルミ缶売って食える。それでわしもやってみたんや。ここに来て生きる自信がついた」というわけです。月に2万円にもならない収入ですが、それでもそれにすがって自分で生きていける。そういう自信がついたっていう人がいるわけです。その人たちを単純に施設に抱え込むのではなくて、今長居で計画されているような避難所を作って、そこに彼らが今まで生きる縁 ( よすが ) としていた空き缶拾いの作業場、アルミを取ったり銅を取ったり、そういう作業場を用意しそこで彼らに定着してもらう。そこから先ですよね、アパートに住めるようになるにはどういう努力をせなあかんかとか、どういうふうにしたらいいかというものが見えてくるのは。彼らにアパートに住んで定職に着きなさいよと言っても感覚がついていかない。長い事かかって日雇い労働から野宿になって本当に視野が狭くなっている。その人たちをもう一回精神的にほぐして、一般的な標準的な形の生活に戻していくというのは非常に手間のかかることであろうと思います。
私も今、いろんな事に関わりながら、時としてそういう当たり前の事、彼らと付き合うには時間を掛けて彼らの無茶を受け続けていかなあかん、ということ、その無茶をどうして言うのであるのか考えていかんとあかんと、最近あらためて反省しているところです。同時に、個人的反省だけでなく、個人、相手を集団で支えるシステムが必要だと痛感しています。