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| ◇ボランティアさんたちの声 ・田中恵子さん ・脇田寛史さん ・川畑摩紀枝さん ・渡邊翔平さん
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川畑摩紀枝さん - ボランティアさんたちの声
大学院の研究課題でホームレスの健康問題に取り組むことになりました。それまではホームレスに全く関心がなかったので、とりあえず「西成」と「ホームレス」というキーワードをもとにGoogleでサーチをしました。それで「NPO法人釜ヶ崎支援機構」にたどり着いたのだと思います。これが、2002年のことです。当時カナダに住んでおりましたから、Emailで事務局長の松繁さんへ連絡をし、その年の5月に帰国し事務所に訪れたことが釜ヶ崎に来るようになったきっかけです。 最初は戸惑うことばかりでした。土地の雰囲気にも圧倒されましたし、多くの人々があいりん総合センターの2階で新聞紙を敷いて寝ておられて言葉を失いました。わが国にこんな所があったことも知らず、頭を打ちのめされた思いでした。自分などはお呼びではないと思いましたが、だからと言って大学の課題があり帰るわけにもいかず、とにかく地域を歩いて労働者の方に声をかけてみようと思いました。 まず、三角公園に出向いてみました。しかし結果は散々でした。いきなり左目の眼球のない男性にサングラスをはずして脅かされたり、「治療費を払ってくれない看護師なんか何の役にも立てへんやん」と言われたり。また、言葉が通じずに目を白黒させていると「そんなことも知らずに何しに来たんや!」と怒鳴られたり。いよいよ私はここではやっていけないと思いました。 でも、もう少しと思いつつ翌朝あいりん総合センターの前でお酒を飲んでいる労働者の人たちと並んで据わっていました。すると、役に立たない看護師となじった男性の方が私を見つけて「こんな薬もらってん」と大阪社会医療センター付属病院でもらった薬の入った袋を見せに来てくれました。とてもうれしくて、またほっとしました。また、ぶらぶらと南海の高架下を歩いていると、片目のおじさんは昨日の勢いもなく、少し情けない顔をしてしゃがみこんでおられました。また、NPOの事務所にとぼとぼと帰る途中に「ねえちゃん、まだおったん」と言う声がしたので顔を上げると三角公園で私に「帰れ帰れ」と言った労働者の方が苦笑して立っていました。これらが、私も釜ヶ崎でやっていけるかなと思えた瞬間だったように思います。 それから2年後の2004年に再び日本に戻ってきて、釜ヶ崎を訪れ週に1回のボランティアをはじめるようになりました。相変わらずびっくりすることの連続ですが少しずつ慣れてきました。 最初はすべてが新鮮でありました。日常生活の延長線上にあることは私には何一つなかったように思います。仕事の延長線上であるはずの病院訪問も驚くことばかりでした。古びた病院に間隔なく詰め込まれたベッドで療養しなければならない人たちを見たり、適切な時期に適切な医療を受けられない人々を知るたびにショックと怒りでストレスが溜まりました。 生活のお世話もスムーズには行きませんでした。例えば食事を買いに行くのが最初とても難しく感じました。一人暮らしやパラサイト状態であった私には、どのお惣菜を買ったら気に入ってもらえるのか、もし食べられなかったらどうしようとか、こんなもの買ったら変かなと考えてとても時間がかかりました。また、コインランドリーで乾燥機から男性のパンツを取り出して畳むのを誰かに見られるのがとても恥ずかしくて、誰も来ないことを祈りながらあわてて畳んでおりました。また、お風呂の券を10枚買ってきてと言われ自動販売機に3600円を入れたのに、1枚の大きな券しか出てこなくて風呂屋のおじさんに「これじゃ困るんです!」とあわてて抗議してみたり。 こういうことも最近は慣れてきて、少しは役にたっているのかなと思うのですが。私は私なりにぼちぼちとなんとかボランティア2年目を越せることを念じているのであります。 <ボランティア 川畑摩紀枝さん>
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