第2章「野宿者」の生活〜4つのモデル〜

 

1.95年度社会学教室による野宿者聞き取り調査についての概略
 

 95年度の大阪市立大学社会学教室において野宿している人からの聞き取り調査を行った(以下では「聞き取り調査」と省略する)。厳密なサンプリング調査でなく、話しかけて調査に応じてくれた人から行った調査ではあるが、野宿者一般のおおよそのデーターにはなっていると思う。

 個々の学生それぞれが、自分なりの調査の目的をもっていたと思うが、調査全体の大きな目的としては以下のようなものであったと理解している。路上で寝ざるをえない人々が、どのような経路を経てここにたどりついたのか、そして現在どのように生活をし、どのような問題に直面しているのかを、直接聞きまとめることで、行政や世間一般に路上で生活している人々の抱える問題を知らしめ、解決策への提案をしていこうというものである。

 調査は、大阪市立大学社会学教室の3回生を中心とする約50名の学生により、2週間に渡って行われた。9月の下旬から10月の初旬、冬を目の前にした季節であった。20時から24時の間にほぼすべての調査が行われた。場所は、天王寺周辺、大阪城公園、難波周辺、日本橋でんでんタウン、などである(地図1参照)1人が主に聞き役、もう1人が主に書き込み役、というふうに2人一組で聞き取りを行った。

 路上で休憩している人、公園でテントの前に座っている人などを中心に、聞き取りの目的を説明し、協力を依頼した。聞き取りを申し込んで断られた件数は、数えていないが、

おそらく5人に1人も断られなかったように思う。聞き取りに要した時間は人それぞれで、ほとんどの方が1時間近くかかる聞き取りに最後まで快く応じてくださった。

 236人の人から聞き取りを行った。内容は、野宿生活に至ったそれまでの経歴、現在の生活をどのようにくらしているか、健康状態、家族について、などである。この調査の集計をもとに、「野宿者」の生活を大きく4つのパターンにわけ、「野宿者」の生活を再現したいと思う。1つめは、現金仕事や飯場に行きながら野宿している人たちの生活「現役労働型」。2つめは、現金仕事や飯場に行けなくなり、釜ヶ崎周辺の炊き出しに並んでいる人たちの生活「炊き出し型」。3つめは、廃品回収をしている人たちの生活「廃品回収型」。4つめは、公園などに家を作ってくらしている人たちの生活である「定住型」。

 それぞれの生活について、一日の様子を見ていきたい。


2.「現役労働型」の生活モデル
 

 236人中の96(24%)の人が現金仕事や飯場に行っている。このような人たちの代表的な一日について見てみたい。

 現金仕事に行く人たちには寝る場所が一定していない人が多い(1)。彼らは、仕事に行けないときに一夜をしのぐ方法として野宿をしているので、自分の決まった場所がない人が多いようだ。彼らは仕事のない時期には野宿をし、仕事に行った日はドヤに泊まる。このような生活スタイルは釜ヶ崎では珍しくない。

 彼らは釜ヶ崎に近い天王寺などで野宿をする。仕事を見つけようとすれば、朝5時までに西成労働福祉センターにたどり着かなければならないからだ。センターに行っても仕事に就けるかどうかは全くわからない。もし運良く仕事に行くことができれば、その日の晩はドヤに泊まれるかもしれない。しかし、不景気で仕事はなかなかなく、多くの人があぶれてしまう。あぶれると、センターの食堂で朝食をとる、という人が多かった。ここが安いからである。

 朝食を食べると、センター(3)で友達と話したり、三角公園に行ったりして、一日を過ごす。釜ヶ崎の中には、ふるさとの家(4)、旅路の里、三角公園のバザー、三徳寮の談話室や図書館など無料でくつろげる場所が多い。メンバーはある程度固定しているので、ここに来れば友人に会えるかもしれないし、三角公園にもふるさとの家にもテレビがあるので、テレビを見る人も多い。釜ヶ崎の外では、暇なときによく行く場所として、公園や図書館をあげる回答が多かった。また、夜は寒かったり、ぶっそうだったりしてなかなか熟睡できないので、昼の間に公園やふるさとの家で睡眠をとるという人も多い。友

人に会って、お酒を飲むと答えた人もいた。飯場から帰ってきた人と運良く出会うとお酒をごちそうしてもらえるかもしれない。今度その人と会ったときに、立場が逆転していればこちらがごちそうしなければならないというルールがあるのだ。

 彼らの中には食事はお弁当などを買って食べるか、食堂で食べるという人が多かった(5)。またふるさとの家にはコンロと鍋があり、自由に使えるので、ラーメンを買ってここで調理をする人もいる。

 もし、仕事に行けない日が続いて、お金がなくなると、炊き出しに並ぶ。四角公園では毎朝・昼・晩お粥の炊き出しが行われているし、三角公園では週に2回、炊き出しが行われている。また、新今宮の駅のすぐ横で、救霊会が毎晩パンとおかゆを配っている。これらの炊き出しをフルに活用すると、栄養の偏りは避けられないが、それだけでも食べていける。炊き出しに並ぶ人の中には、高齢で力仕事は難しいだろうと思われる人だけでなく、若い人も多くいるが、彼らは仕事のないときだけ炊き出しを利用している人たちである。彼らは仕事の多い時期には炊き出しの列から消えていく。「現役労働型」の人たちは夜は早くに寝る場所を捜し、また翌朝の就労に備えるのである。彼らの中には「健康である」と答える人が多かった。


3.「炊き出し型」の生活モデル
 

 236人中の94(24%)の人が炊き出しを利用していた。この24%の中には、「現役労働型」の生活をしていて、それでも全く仕事に行けないので炊き出しを利用している人もいるが、中には、高齢になり仕事に行くことを断念し、朝起きてから夜寝るまで、とにかく一日中炊き出しに並ぶという人もいる。ここではこのような人々の代表的な一日について見てみたい。ただこれは非常に体力を使うので、歩くことが困難な人には大変なことである。

 76%の人が寝る場所は一定であると答えている。各人が自分の場所を持っていて、毎晩そこで眠るのである。寝る場所は、各人様々であったが、屋根があり、ある程度人の通る場所に人気があった。また、何人かでかたまって寝るほうが、外からの様々な暴力(1)から身を防ぐには良いようである。朝起きると、まず自分の寝ていたところをきれいにして、その場所から離れる。店が開くまで寝ていると店の主人に怒られてしまうのだ。

 炊き出しには、毎日行われているものでは、四角公園のおかゆの炊き出し(2)と救霊会のパンとおかゆの炊き出しがある。火曜日の夜は関谷町公園(難波)でうどんの炊き出し、水曜日の昼には三角公園で具だくさんのドンブリの炊き出し、夜中の12時半には難波高島屋の前でおにぎりかパンの炊き出し、金曜日には阪堺線「恵美須町」駅でおにぎりかパンの炊き出し(3)、土曜日は三角公園でドンブリの炊き出し(4)。日曜日には救霊会で朝9時からパンと果物の炊き出し、夜は6時から弁当の炊き出し、などがある。他にも、6のつく日(毎月6日、16日、26)には天下茶屋の駅で、5のつく日には「右翼団体」が行う炊き出しがある。

ベテランほどいろいろな炊き出しに並び、なるべく多くの種類を食べるようにしている。これらの炊き出しは配られる場所がときどき変わるものもあり、そういう情報に敏感でなければ食べられないし、時間通りに列に並ばないと食べ損ねてしまうことになる。炊き出しの場所はかなりいろいろな場所に散らばっているので、すべてに並んでいると一日が過ぎるようだ。

 彼らの多くも炊き出しに並んでいないときには、釜ヶ崎を歩き、話をする仲間を探したり、ふるさとの家や、三徳寮の談話室、図書室に行ったり、三角公園でテレビを見ているようである。釜ヶ崎の中で空き時間をつぶすのは、生きていくのに必要な情報を摂取するためという意味があると思う。そういう意味では、「現役労働型」の人よりも「炊き出し型」の人のほうが釜ヶ崎から離れられないのではないだろうか。

 炊き出しに行く人には、かつて釜ヶ崎で働いた経験のある人が多い(5)。そして、このグループの一部が特別清掃に登録している(6)。特別清掃というのは、大阪府と大阪市が高齢者の労働政策として、毎日340人の人に西成労働センターを通して、出している清掃の仕事である。障害があれば55才以下でも登録できるが、やはり高齢の人が多かった(7)


4.「廃品回収型」の生活モデル
 

 上記の2グループはいわば釜ヶ崎と現在でも密接につながっているグループである。釜ヶ崎とのつながりが切れた人あるいは切ろうとした人は、廃品回収をして生計を立てているようである。これは廃品回収をしている人には、炊き出しを利用することが少なく(1)、お店から食料をもらったり、自炊をしたりする人が多いということからわかる(2)。このように廃品回収をしている人たちは、釜ヶ崎の外で生活に必要なすべてのことをまかなうようになるのである。

 彼らは釜ヶ崎の周辺に寝泊まりしている上記の人たちとは異なり、心斎橋や難波の方で寝ていることが多い。ダンポールを回収することが生活の中心であるため、なるべく競争相手の少ない場所、ダンボールを出す店が多く集まっている場所、寄せ屋が近くにある場所のほうが便利だからだ。

 彼らは、朝起きて一日中廃品回収をしている者もいるが、逆に夜廃品回収をして、昼間は公園で寝ているという人も多い。夜に廃品回収をしている人は、リヤカーを引いてダンポールを集めている人に多いが、これは、昼間の大阪市内は交通量が多く、リヤカーを引くのが大変であることと、店がシャッターを閉めるまぎわに出すダンボールを出すためであると思われる。廃品回収といっても、ダンボールを集める人もいれば、アルミ缶を集める人もいるし、大型ゴミの中からまだ使える物を拾って売りに行く人たちもいる。集める物によって、仕事をする時間が変わるようだ。夜中に廃品回収をする人の中には、疲れたら随時その場で仮眠をとるので、寝る場所は一定していないという人もいた。

 廃品回収をしている人のうち、約80%の人がリヤカーを所持していた。リヤカーがあればそれを寝床にできるし、身の回りのいろいろな物も持ち運びができる。ほとんどの人はリヤカーを業者から借りている。

 食事については彼らのうちの約40%が食事を買う、約35%が自炊をすると答えている。他にはコンピニエンスストアやハンバーガーショップが、ゴミとして出した期限切れの物を、取りに行って食べる人たちもいた。また、彼らの中には少数ながら知人から食料をもらっている人もいたが、そういう人たちには高齢の人が多かった。炊き出しのみで食べている人はほんの数人であった。このように、廃品回収を営んでいる人たちは釜ヶ崎の外に生活基盤を築き、釜ヶ崎とは離れて暮らしているようだ。


5.「定住型」の生活モデル
 

 最後のグループは公園や道路に「ハウス」(ダンボールハウス)を作り、そこで暮らしている人たちである。今回の聞き取り調査ではわずか18(8%)の人からしか聞き取りができなかった。大阪城公園や、天王寺公園の周辺、高速道路の下など特定の場所にしか家を作ることが許されないので、定住型の人はそれほどいないように思うが、「野宿者」のイメージは特にこの生活モデルの人々と結びつきが強いようなので一つのグループとして取り扱うことにする。

 夫婦でくらしている人たちは4組ともハウスに住んでいた。1組だけ両方からの聞き取りができたのだが、3組は旦那さんの方からしか聞き取りができなかった。

 18人の内、9人は廃品回収を仕事にしていた。現金仕事をさがしていた人が2人。残りの人たちは、60才を過ぎており、周囲の野宿している人たちからの援助などでくらしている。

 彼らはかたまってハウスを作っているので近所の人たちと食べ物を分け合ってくらしていることも多い。また、彼らの中では自炊をしている人が非常に多かった。自炊の材料は近くのスーパーからもらってくるという人が多かった。

 廃品回収をしている人と、周囲の人からの援助などでくらしている人ではかなり生活のモデルが違う。共通しているのは、夜自分の寝床があるということ、ハウスの前で自炊をしていること、休憩するときにはハウスの前にいることが多い、と答えていることである。