わたしたちの身近な周囲で、野宿生活をしいられる人がふえています。今や、市中の公園や河川敷で、テントや仮小屋が建っていない方がまれなくらいです。商店街のひさしやアーケードを、夜だけ借りるという野宿者もおおぜいいます。
テントや仮小屋といっても、レジャーのキャンプをイメージしないでください。ただ生きのびるためのぎりぎりの緊急避難です。ブルーシートはすれるとすぐほつれて、あちこち簡単に穴があいてしまいます。アリや蚊にかまれ、ゴキブリやねずみがはいまわり、日照りのときはかまどのように暑く、冬の底冷えはどう耐えようもなく、雨が降ればテントの内も外もぬかるみです。水場もトイレも遠くまで歩かなければならない毎日……。
みんな、食べるために毎日働いています。それも車の少ない夜間が大部分。市内だけでなく、周辺都市まで台車を押したり、自転車で走ったりしています。アルミ缶や廃品を回収して、一日の収入が平均 300〜 500円。コンビニなどの廃棄食品もあわせて利用しながら、かろうじて食いつなぐという生活をよぎなくされています。一日一食という人も少なくありません。
病気になったら、医者に見てもらうためには、病状がひどくなるのをまって救急車を呼ぶしか方法はありません。救急指定病院でも、自分で歩いていったら診てくれません。お金も保険証もないので、福祉扱いにしてもらうには救急車で運ばれないといけないのです。衰弱死、餓死、自殺する人があとをたちません。
一昨年(1998)年夏、大阪市が行なった「野宿者概数調査」で 8,660名の公園・河川敷・路上で生活する人々を確認しました。しかしそれ以後も野宿をしいられる人はふえる一方で、大阪城公園に限ってみても、昨年(1998)年秋(10月)公園担当の市職員の報告では、「大阪城公園に 500のテントが張られている」ということでしたが、「この3月には 568軒」と言っていました。釜ヶ崎の仲間の調査では、(公園周辺含めて?) 1,020軒を数えています。わずか半年もたたない間に2倍です。今では 15,000人くらいではないでしょうか?
万博、サミット、国体が催され、ここ1〜2年に東アジア大会およびワールドカップの開催を予定し、ぜひオリンピックも誘致しようという「文化的」「国際的」な大都市大阪に、「人として」生きることをはばまれた仲間たちがいるのです。
この状況を、あなたはどう見ますか? 日ごろ、このような「風景」に接して、何を考えますか?
家の近くに野宿する人が日増しにふえ、わずかな息抜きの場である公園にテントや仮小屋が目立つようになれば、地域の住民としてはたまったものではないでしょう。あの手この手でひたすら追い出しをはかります。地域ボスに訴え、警察、役所になんとかしろと迫ります。無理からぬことかもしれません。
でも、そこを出て、どこへ……?
警察や役所は、地元からの要請があるとすぐに「道路交通法」や「都市公園法」を盾に、撤去勧告ビラや巡回口頭で「立ち退き」を強要します。職責上やらざるを得ないわけです。これは、強制代執行ではないにしても、行き場のない仲間にとっては、存在そのものを否定される迫害です。コソボや東チモールなど世界各地で起きていて、人々が心を痛めている同質の人権侵害が、わが足元で、規模を小さくして起きているのです。
もし、その人たちが自分の家やアパートがあるのに公園や道路を占拠して、別荘代わりにしているというのであれば、追い出しは、ありです。公共の設備を一部とはいえ、気ままに私物化することは認められることではありません。しかし、そうではなくて、どこにも行き場がない場合は、どうすればいいのでしょう……?
「仕事さえあれば…」と、野宿者のだれもが願っていることは、大阪市の調査からも明らかです。しかし、その仕事がない……!
生活保謹を求めても、大阪市が野宿者にゆいつ認める救護施設、厚生施設は、どこも 120パーセントの満杯状態……。居宅保護を申請したくても「居宅」を失った野宿者は、申請書すら受け付けてもらえないのです。
追い出しがもはや意味をなさないことを、行政は承知しています。地域の住民もそれなりに察してはいます。かりにそこを出たとしても、またどこかにテントを張るしかないことは目に見えているからです。分かっていながら、それでも追い出しをかけるわけです。こうして住民も行政も、人をベランダに寄ってくるハト並みにあしらい、人のいのちをもてあそぶ結果となっているのです。
このような社会全体の空気の中で、路上生活をしいられた人々に対するいやがらせは、どこでも、なかば公然と起きています。人が寝ているダンボールの囲いを通りすがりに蹴飛ばしていく、火のついたタバコの吸いさしや空き缶を投げこむ、飲み残しの缶コーヒーを寝ている上にたらしながらいく……。
少年や若者らによる「グループ襲撃」も、このところひんぱんに起きています。自転車やバイク、乗用車などで押しかけ、一抱えもある太い角材の切れっぱしやブロックの大きなかけら、植木鉢を放りこむ、花火を投げ込む、エアガンを打ち込む、灯油をまいて火をつける……といった、ふつうでは考えられないようなことが現実に起きているのです。骨折ややけどで救急車を呼ぶということが起きています。
人が人としてあつかわれないまま放置されるとき、踏みつけにされるその人の人権が傷つけられるだけでなく、踏みつける側の人々の心を荒廃させます。自分は直接手をかけなくても、それを見て見ぬふりをする人たちも等しく、人としての尊厳を蝕まれていくのです。
人は、たとえしいたげられても、必ずしも人としての尊厳を失うものではありません。むしろ、おのれの尊厳を孤高に保つということも、まま、あります。しかし、人をしいたげる側は確実に「人でなし」になっていきます。
こういうことは「野宿者」の場合のみならず、貧しいお年寄や障害者、身を守るすべのない子どもたち、国籍や社会的因習でいわれなく差別を受ける仲間たちなど、社会的に弱い立場に立たされた者との関わりでも同じです。仲間たちの困難を目の当たりにしながら目をそらし、その訴えに耳を傾けることをこばむとき、人は自分をもダメにしているのです。こうして社会はますます荒んでいくようです。
最近では子ども連れでテント暮らしをしている夫婦や、背広と革靴姿で路上生活をしている人も見かけます。かつて「野宿するのは仕事にアブレた釜ヶ崎の日雇いの人」というのが常識のようになっていて、「あいつらは自業自得や、ほっとけ」といわれていましたが、そういう見方がまちがいであったことが、関西大震災のときの「テント風景」になじんでこの方、ようやく一部の人たちの意識に上りはじめました。
昨年、大阪市は、あらためて「野宿生活者聞き取り調査」を行ない、「672名」の公園・路上生活の人たちと面談して中間報告を上げていますが、路上生活者の半数は「釜ヶ崎を知らない人たち」ということです。リストラ、倒産、借金、家庭崩壊……野宿にいたる原因はさまざまです。
かつて日本の四大産業(炭鉱、造船、鉄道、金属鉄鋼)が没落して多大な失業者を出したとき、全国の「寄せ場」がみごとにクッションの役割をはたしました。とりあえず日雇いで糊口をしのぐことができたわけです。しかし、国と自治体が手軽に取り入れた日雇い就労制度は、それ自体、じつは定職への転職を困難にする仕組みになっており、病気やケガひとつで、簡単に労働者を野宿へ移行させてしまうものでした。
行政が簡易宿泊所(ドヤ)を生活の場として認めず、世間にある「宿無し」の差別的イメージを肯定して、あえて「住所不定」者として規定し続けてきたことは、日雇い労働者の職業選択の自由をせばめるものでした。職安を通じての仕事探しをかぎりなく困難にし、生活保護法の適用から事実上疎外したのです。そのため寄せ場周辺には、景気の好・不況にかかわらず、ふだんから野宿をしいられる労働者がいたわけです。
バブル崩壊を機に始まった平成不況のあおりで、今や、釜ヶ崎のような「寄せ場」までが解体しつつあります。リストラや倒産などで職を失った者にとりあえずの就労機会を提供する場が機能しなくなっているのです。このことが、野宿生活者を急増大させている大きな要因の一つにもなっていると思われます。
「釜ヶ崎の人たちは、どうして日雇いの生活にしがみついているの?」「選びさえしなければ、何か仕事はあるんじゃないの?」「野宿をしいられているというけど、とどのつまりは自業自得じゃないの?」
釜ヶ崎に住むようになるまで、わたしもそう思っていました。でも、じっさいは日雇い労働者にとって、個人の努力では超えがたい、一般には見えにくい、転職のハードルがあったのです。釜ヶ崎に来るまでわたしはそれに気づきませんでした。一般の人にとって、それはハードルではないからです。「住民票」「身元保証人」「給料の後払い」の三つが、それです。
日雇い労働者の大半は日払いの簡易宿泊所(ドヤ)を利用します。同じドヤの同じ部屋に十年以上住んでいるという人もいます。でもその労働者は「住所不定」と見なされます。住民票をそこに置いていようといないに関わらず、です。それは行政が簡易宿泊所(ドヤ)をアパート同様の居所として認めないからなのです。「ドヤは旅館であり、旅館に泊まるのは旅人……同じドヤに何年住んでいたとしてもそうだ」というのが、行政の言い分です。簡易宿泊所の住所が記入されている住民票は、そこに住んでいることの証にはならず、「住所不定」の証と受け取られるようになっています。
「それなら、なぜアパートにしないの?」……当然の疑問です。確かにドヤは月額になおすと、アパートを借りるより割高です。それでも、多くの労働者はドヤ住まいから離れられません。日雇い就労のしくみがそうさせるのです。
朝4時まえに「寄り場」に出て、うまく仕事につければ、帰ってくるのはくたくたに疲れて夕方の6時か7時。風呂へ行って、飯を食って、翌日にそなえて早く寝る。好況のときはこれが連日です。家事をするひまもゆとりもありません。景気が陰りを見せると、とたんに仕事が減ります。景気の良いときでも、年間のサイクルとして極端に求人が減少するアブレ期(3月〜6月)があります。そのときは一部の選抜労働者をのぞいて「飯場」に入るしかありません。十日、二十日、一ヶ月から数ヶ月、釜ヶ崎を離れることになります。飯場に入っていれば、毎日ではなくても必ず仕事はまわってきます。しかし、食事・宿泊・その他の「飯代」(はんだい)一日3000円前後を毎日引かれます。一日働いて三日休ませられるというサイクルでは、十日契約なら一ヶ月以上の飯場暮らしとなり、契約あけにもらう賃金が一万円札一、二枚ということです。すでにアパートを借りていたら、二重に家賃を払っていることになり、しかもつぎの家賃分の稼ぎはなかったということなのです。ですから、たとえ、割高ではあっても、日払いのドヤのほうがロスが少ないわけです。まえに稼ぎためた金も、日々のドヤ代で食いつぶすしかなく、故郷への送金はしたくともできなくなり、ますます敷居が高くなって、家族との連絡も取りずらくなっていくのです。
もし、行政がドヤをアパート同様の居所として扱い続けてきていれば、多くの人の差別的な見方を助長することが防げ、住民票が住民票として受け取られるようになっていたはずです。今からでも遅くはありません。行政を始め多くの人が抱く、ドヤ住まいに対する見方が変われば、ハードルの一つはクリヤーされます。野宿になる前に転職できる確率も高くなるはずです。行政みずから「住所不定者」をつくりだし、転職をはばんでいることを、わたしたちは知らなければなりません。
人寄せ場で働く日雇い労働者にとって、とりわけ野宿をしいられた身で、転職にあたって身元保証人を探すことは至難の業です。安定したそれなりの職場ほど、この条件はきびしく求められます。かつての仕事仲間で、「自分でよければなってもいい」と言ってくれる人はいても、同じ日雇い労働者では採用先が認めません。
身元保証人を必要としない仕事もないわけではありません。しかし、そういう場合は、若さと体力が要求されることが多いのです。野宿者の平均年齢が57才ということを考えれば、そういう仕事への就労の可能性はかぎりなくゼロに等しいということです。
これが転職のハードルだとは、ふつうではなかなか気づかないものです。給料の後払いは、どこの世界でも当然のことでしょう。しかし、野宿をしいられている身には致命的です。たとえ、第一、第二のハードルをなんとかクリヤーしたとしても、最初の給料をもらうまで、飲まず食わずで仕事ができるはずがありません。職場が離れていれば交通費も要ります。
福祉事務所には貸付金制度がありますが、住民票の置ける住まいのない人には貸してくれません。悔し涙を飲んで、アルミ缶集め、ダンボール集めをしながら、野宿をつづけるしかないのです。期間限定でもいいから、転職に際しての行政による支度金の貸付制度があれば、どれほどの人が野宿から解放されることでしょうか。
職安を通じて13回面接にいったけれどだめだったという労働者もいます。仕事を選んだわけではない、どんな仕事でもいいと腹をくくっていたのです。しかし、世間一般ではなんでもない決まりごとが、野宿の身には超えがたいハードルになっているのです。
怠けて野宿をしているのではない、好きでこういう生き方を選んでいるのでもない、弱者をかえりみない社会のルールによって、選択肢を奪われているのです。野宿は、強いられているのだということを、わたしたちは知らねばなりません。
野宿者の増大は明らかに制度の破綻からくるもの。個々人の努力ではどう踏みこたえようもない、社会構造のひずみが原因です。地殻変動が地表の弱い部分に地震として現われるように、社会構造のひずみも社会的弱者に集中して現われるのでしょう。それを個人の資質の問題にすりかえて、努力や忍耐の不足をうんぬんすることは許されません。それをやってしまうところに、野宿をしいられた人々に対する社会ぐるみの「人権侵害」(追い出しと襲撃)の暗黙の正当化がなされ、その結果、みなが人としての尊厳を喪失することになるわけです。
「いじめはやめよう……かわいそうじゃないか」という発想を突き抜ける必要があります。「いじめ」が、いじめられる人の人権を傷つけるだけで、いじめる側は無傷だという感覚でいるかぎり、「いじめ」はなくなりません。そういう感覚自体がいじめの温床だからです。
人を傷つけるとき、まちがいなく自分自身が人としての尊厳を失い、みずから「人でなし」に変貌していくという強い自覚をもてるようになりたいと思います。
生活設計のためのあらゆる選択肢を、個別にも制度としても、奪われている野宿をしいられている仲間たちに対して、「かれらの自立と労働意欲をうながすために…」とは、じつはだれも言う資格はないのです。このような姿勢は、「いじめ」と同質の感覚です。
施策を打ち、支援を考えることができる立場にいるわたしたちのだれよりも、かれらは自立しており、だれよりも多く働いています。自立しているからこそ、なんにもない中で、何の法的支えもない中で、たくましく、したたかにも生きているのです。ここのところをしっかり見つめて行動に移すとき初めて、相手の人権とともにその尊厳をも認めた支援、施策となるはずです。
釜ヶ崎では、自分が野宿していてたいへんなのに、アパートがあって三度三度食べているわたしに、「むりしたらアカンよ」と声をかけてくれる労働者が少なくありません。恐縮して思わず頭が下がります。
人の痛みをだれよりも知っている、社会でいちばん小さくされているこの仲間たちだからこそ、たてまえのきれいごとにごまかされない真実の価値観をもち、その感性は人々の欺瞞をあばくのです。
かれらのために何かをしてやろうというのであれば、行政であれ、地域住民であれ、支援者であれ、まずこの仲間たちの極限状況の視座に立つ価値観に学び、その感性に触発されて正しく連帯することが求められていると思います。
仕事にアブレて、野宿をしいられている人たちがいちばん望んでいることは何か……100人のうち99人までが「仕事さえあれば…」と言っているのです。炊き出しがあればおおぜいが並びます。反失連が建てた二階建ての大テントも三角公園わきの市のシェルターもいつも満員です。衣料放出をすればたちまち品切れです。夜回りをすれば「ごくろうさん」とねぎらってくれます。しかし、だからといって、「ここに力をいれて…」という施策、支援のあり方は考えものです。こういうことはいずれも「とりあえず」の緊急避難的な策のはずです。
かれらが真実望んでいる「働いて、自分で生活を段取りする」ことにこそ、わたしたちの支援と連帯を位置づけ、行政はそれに向けて施策を講じるべきなのです。
しいられた野宿を支援するのではなく、野宿をしいられている仲間の願いに連帯したいものです。