野宿生活者問題とNPO
釜ヶ崎支援機構の目指すもの

釜ヶ崎支援機構の船出

 本年6月23日、設立総会を持ち、翌日に大阪府知事に「特定非営利活動法人設立認証申請書」を提出して、『釜ヶ崎支援機構』はあわただしく船出した。
 しかし、あわただしい船出にもかかわらず、「野宿生活者と野宿に至るおそれのある人々の社会的処遇の改善及び自立支援が図られる地域の形成に関する事業を行うことにより、もって社会福祉の向上を図ることを目的とする(定款第 3条目的)」団体のNPO法人化は、極めて珍しい事として新聞・テレビで取り上げられ、多くの人の関心を集めた幸先の良いものとなった。
 もちろん、その関心の背景に全国的な野宿生活者の増加、とりわけ深刻な釜ヶ崎(あいりん地区)の状況があることはいうまでもないことであろう。
 そのことは、『釜ヶ崎支援機構』の人事構成にも現れているといえる。
 顧  問 吉村靫生(社会福祉法人大阪自彊館理事長)
 理事長  本田哲郎(釜ヶ崎反失業連絡会共同代表・フランシスコ会カトリック司祭)
 副理事長 山田 実(釜ヶ崎反失業連絡会共同代表・釜ヶ崎日雇労働組合委員長)
 理  事 野口道彦(大阪市立大学同和問題研究室教員)
 理  事 乾 繁夫(社会福祉法人西成区社会福祉協議会会長)
 監  事 西口昭二郎(萩之茶屋連合振興町会長)
 あわただしい設立事情に関わらず、1993年以来、野宿を余儀なくされる労働者への仕事や寝場所、食の対策を行政に求め続け、具体的な支援活動もおこなってきた釜ヶ崎反失業連絡会の代表に加えて、釜ヶ崎(あいりん)地域に関わりの深い福祉団体の長や町会の代表、野宿生活者の人権問題に関心を寄せる研究者が、一つの組織に名を連ねている。
 このような組み合わせは、一年前には誰も想像し得なかったことであろうと思う。
 西成区に2千を超えて存在する野宿生活者の「圧力」が、この組み合わせを生み出したのだ、といえる。あるいは、解決を迫る課題が、解決を模索し解決に努める人々を一つの組織にまとめあげた、ともいえるだろう。
 また、国や関係自治体を構成員として設置された「ホームレス問題連絡会議」の動きも、大きな影響を及ぼしている。
 釜ヶ崎支援機構設立趣旨書では、次のように書かれている。少し長くなるが、紹介しよう。
 
『釜ヶ崎支援機構設立趣旨書
 近年、全国各地において野宿生活者が増大し、それに対応して支援活動も各地でおこなわれている。大阪においても、もっとも野宿生活者の密度が高い釜ヶ崎(あいりん地区)を中心に、食の提供や寝場所の提供、医療相談などが民間ボランティアによっておこなわれている。
 本年に入り、国においても対策の取り組みが検討され、「ホームレス問題連絡会議」において「ホームレス問題に対する当面の対応策」がまとめられて、各自治体において「自立支援事業」が実施される運びとなった。
 「ホームレス問題に対する当面の対応策」には、『ホームレスの自立に向けた一定の取り組みをおこなう社会福祉法人、民間ボランティア団体などの積極的な協力を得ると共に、必要な支援をおこなう』と明記されており、これまで活動を続けてきた団体の協力が要請されている。
 この状況に鑑み、民間ボランティア団体などにおいても、責任体制の明確化、継続性確保がこれまで以上に社会的に問われる段階にあるとの認識が高まり、NPO法人の設立を検討するにいたったものである。
 設立経緯に明らかなように、設立目的は、野宿生活者の社会的処遇の改善であり、「自立援助」である。また、野宿状態に至る手前での「予防活動」である。
 従って、行う事業は、食の提供や寝場所の提供、医療・生活相談、そして、「自立」の基礎的条件である「職=就労機会の提供」である。
 また、各団体間相互や行政機関との連絡調整をおこなうほか、「自立支援」のために必要な、調査・研究・広報・啓発活動をおこなう。
 なお、釜ヶ崎における野宿生活者の密集と地域事情は無関係であり得ないことから、地域住民(野宿生活者も含む)と一体となった「街づくり」の模索、討論の提起、計画の策定などにも努める。
 以上の活動を支える募金活動ほか関連する必要な事業を行うものである。』


職と寝場所と食を求めて

 釜ヶ崎支援機構の設立を提起した釜ヶ崎反失業連絡会の正式名称は「釜ヶ崎就労・生活保障制度実現をめざす連絡会」という。その団体の性格を一口で言い表すとすれば、「要求行動団体」である、ということになると思う。
 大阪府や市に要求書を提出するデモ行進、大阪府議会への誓願書の提出、大阪府庁前の大阪城公園における「泊まり込み要求行動」、市庁舎周辺での「泊まり込み要求行動」(今年の市庁舎周辺での泊まり込みは、 3月1日から30日までの長期にわたるものだった)、そして、国の「ホームレス問題連絡会議」にも要望書を提出している。
 「バブル経済」崩壊後の急激な釜ヶ崎への求人数の落ち込みと高齢労働者を中心とする野宿を余儀なくされる労働者の急増という現実の中から、多様な対策が大阪府・市に提案され、要求行動が積み重ねられてきたが、抜本的な対策は実施されず、ついに大阪市内の野宿生活者数は一万人を大きく超える状態になってしまった。
 大阪市内の野宿生活者のかってない数量的増大は、路上死にさらされる極限状態の困窮者の増大という野宿生活者自身に関わる問題と共に、あらたな質の問題をも引き起こしている。
 野宿生活者の間に流行っている赤痢がそうであるし、長引く野宿状態からやむなくおこなわれている公園や道路などの公共施設の占拠状態がそうである。とりわけ公共施設の占拠状態は、やむなきこととはいえ長期化した現在、周辺住民と野宿生活者の間に「闘争関係」を生じつつあるように思われる。
 野宿生活者当人だけでなく、多くの不特定多数の人々の日常生活にも直接関わるに至った野宿生活者問題を解決するために、何が必要か。一万人を超えた野宿生活者の規模に見合った対策として、釜ヶ崎反失業連絡会が考え、国へ要求したことは、以下のようにごく単純なことであった。
 
野宿を余儀なくされている労働者の経済的自立援助に関する要望(要旨)
(1)大阪市に対し、今年度野宿生活者対策費として百億円を早急に交付されたい。
 @ 野宿状態からの早急な「救済」がはか られるべきです。野宿生活者対策の本格実 現までの過渡的(6ヶ月間)対策として  「ドヤ券」「食券」を発行する費用の負担 を求めます。
 {ドヤ代1,300円+(食券500円×2食 )}×30日×8,000人×6ヶ月=33億1,200万円
A 大阪市が実施している日雇労働者雇用創出事業は、一日3千人に拡大される必要があります。
 一日3千人の就労確保と日雇雇用保険を組み合わせれば、総数6千人が野宿状態から脱することができます。
 一人当賃金6,200円×3千人×26日 ×12ヶ月=58億320万円。
 間接事業費見込み 6億円。
 (労働者の収入見込み=手取り賃金5,700円×13日+アブレ手当4,100円×11日=11万9,200円)
B残り2億3,480万円
 「生活ケアセンター事業や無料低額診療事業をはじめ各種の地域福祉対策事業に対する国庫補助等」に充当されるものとしています。
(2)野宿生活者支援法(案)の成立をはかられたい。
 生活保護法に就労対策を組み込んだものとしての「野宿生活者支援法」を提案しています。
 「野宿生活者支援法」では、「野宿生活」の現状に対して「支援」が行われるものであり、扶養親族の有無・過去の経歴・国籍等により制限されないことを明確にし、事業の費用は、全額国庫負担とするとしています。
 具体的な対策は、各自治体で事情が異なるので、各自治体において野宿生活者の代表や支援団体を加えて「野宿生活者支援センター」を設置し、そこで検討・立案・実施することを提案しています。ただし、一定の基準を全国的に保障するために、『@野宿生活者からの相談があった当日から対応できる食と居住空間の提供事業 A野宿生活者が相談日から10日以内に就労可能な職業斡旋事業 B野宿生活者への医療相談事業』については、最低限度のものとして実施することとしています。
(3)ホームレス問題連絡会議に大蔵省・通産省を加えられたい。
 たとえば、「プラスチック類製造・使用税」の新設とそれを財源とした「リサイクルセンター」の全国展開のようなことを検討されたい。勿論、野宿生活者への雇用創出の一環として。


「対策」実施サポート団体としての反失連

(1)高齢者就労確保のために
 釜ヶ崎反失業連絡会の要求行動に対して、行政が全く無反応であったというわけではなかった。
 一九九四年末から、高齢労働者のための就労事業として、愛隣総合センターフロアーとあいりん地区内生活道路の清掃が開始されている。
 とりあえず開始された94年11月7日から95年2月28日までの「高齢者清掃事業」は、センター清掃一日30人、道路清掃20人の計50人枠であったが、就労を希望し、西成労働福祉センターに登録した 55歳以上の労働者は940人に達した。単純に計算すると、登録した労働者は18.8日に一回就労し、5,700円の収入をえたことになる。(現在は一日53人の就労枠に対して登録者数1,900人ですから、 35.8日に一回の就労となっている。)
 わたしたちが、清掃事業に就労した労働者286名の協力を得て実施したアンケート結果によれば、現実に野宿を余儀なくされている労働者は169名(59%)に達していた。また、その日は野宿をしていないが今でも時々するという人を含めると 188名(65・7%)であった。(現在の登録者に占める野宿生活者の割合は、アンケート調査を実施していないのではっきりとはいえないが、8割に達していると思われる。)
 「清掃事業」は、現実的には就労日が少なく、賃金額も低いので、野宿の状態を脱するほどの効果を持たないものであるが、就労する高齢労働者は「久しぶりに風呂に入れる」「久しぶりに人間らしいものが食べられる」と、そのわずかな機会にすら感激していた。
 大阪市の生活道路清掃は、10名1班で作業を行い、各班に作業リーダー(指導員)1名を付けることになっている。清掃事業の円滑な実施を確保し、継続性を確保するためには、地域事情を飲み込んだ人間が指導員になる必要があると考えた反失業連絡会は、先行きの不透明な発足当初から指導員を出して清掃事業を支えてきた。現在では、野宿を余儀なくされていた労働者の中から指導員が生まれるようになっている。
 就労枠の拡大は、高齢労働者の就労日数が増えるだけでなく、わずかとはいえ、野宿を余儀なくされている中高年齢労働者の雇用拡大にもつながるものであるといえる。
(2)寝場所確保のために
 公園や路上で生活せざるをえない人は増えるのに、民生行政で使える収容施設の定員は増えなかった。簡易宿泊所は空き部屋が目立つのに、実効性のある雇用対策がなされなかったため、野宿生活者は収入を得て泊まることができなかった。多くの野宿生活者が、寝ているときにロケット花火を打ち込まれたり、蹴飛ばされたり、水をかけられたりする状態に放置されていた。
 人が寝るに決して相応しい場所とはいえないが、愛隣総合センターの3階や1階のフロアーが夜間閉ざされたままになっていたので、とりあえず千人は安心して寝られる場所としての確保が模索されることになった。
 大阪府労働部は、労働施設であり人が寝るに相応しくないと「夜間開放」に否定的だったが、大阪府にも大阪市にも他に代わる案がないことから、反失業連絡会が「自主管理」し、期間を設定するということでセンターの夜間開放が開始される。
 大阪府が場所を提供し、大阪市が災害救援物資の乾パンを1日1人宛1個や毛布・断熱銀マットを提供、反失業連絡会が、不足する毛布・断熱銀マットを補充し、夜間の自主管理をおこなう形で、現在は運営されている。寒い日や暖かい日、雨降りの日などで利用者数は 800人から利用限度一杯の1,200人までの間で変動するが、乾パンは平均して1,900個が支給されている。乾パン支給数が寝場所利用者より多いのは、寝場所の最大可能利用者数よりもが周辺野宿生活者数の方が常に上回っている事の結果である。
 昨年11月からは、大阪市が提供した敷地の上に、反失業連絡会が購入した大テントを建て、その中に建設現場で足場を組むのに使う単菅(鉄パイプ)で2階建ての骨組みをこしらえ、床を張り、畳を敷いた「寝場所」で、毎晩 200人が寝ている。(敷地は2面あるゲートボール場の1面を転用したもので、地元老人会や町内会関係者の理解と了解がなければ実現しなかったものであることを申し添えておきたい。)
 毎晩繰り返される、大テント利用希望者への整理券配布や、センターフロアー全面へのブルーシート敷きや乾パン・毛布・断熱銀マットの配布、そして夜警、早朝起床時の片づけは、おもに 20人ほどの固定スタッフによって行われている。固定スタッフは元々野宿を余儀なくされていた労働者で、センター夜間開放開始の時から作業に参加していた人たちの中から生まれ出たものである。報酬はなく、 3食と風呂券・タバコが支給され、大テントの横に張られた「アルジェリアテント(神戸淡路大震災の時に被災者のために使用されていたもの)」で生活している。固定スタッフのための費用はすべて反失業連絡会が負担している。
 寝場所対策で昨年の大きな出来事としては、大阪市の決断で実施された「臨時生活ケアセンター」の開設がある。
 大阪自彊館三徳寮が管理する「娯楽室」と三徳寮内の一室に二段ベットを入れ、一回定員45名、二泊三日させるというもので、8月と11月の2回実施され、8月期総定員 855名、11月期総定員675名、計1,430名の規模であった(重複利用を除いた実人員は1,155名、利用者の平均年齢8月期55.2歳、11月期56.1歳)。
 事業の実施に当たり、受付方法と三徳寮までの引率は反失業連絡会にゆだねられた。反失業連絡会で検討した結果、連番を付した定員数の整理券と連番を付した補欠整理券を配布し、三日ごとに番号順に受付するという方法をとった。補助整理券を配ったのは、野宿生活者の生活が不安定なものであり、番号が回ってくる日に欠員が出ることが予想されたからである。実際に、「今日、仕事に就けたからいけない」、「入院することになったから券を返す」という連絡を受けたことがある。これらの実務に要した費用はすべて反失業連絡会で負担した。
(3)食の確保のために
 命を維持するために必要な「食」の提供は、週二回と限られた回数ではあるが、一回当たり平均二千人に対し、反失業連絡会に参加している「勝ち取る会(代表中尾春男)」によって行われている。
 萩之茶屋南公園(通称三角公園)においてなされている「腹に溜まる一食の提供(丼飯)」も、主として野宿を余儀なくされている人々の中から出てきた固定メンバーやその時その時の応援メンバーで実施されている。反失業連絡会の昨年 11月から5月末までの半年間の支出合計は1,176万円だったが、そのうち783万円が炊き出し費用として使われている(二番目に大きな支出項目は、大テントや泊まり込み行動の時の設営用資材費 184万円である)。
 行政からの支援は、三角公園の使用(炊き出し用資材テント一張りの設置を含む)の黙認のみで、金銭的援助はなく、金銭面では全面的に全国の市民からの社会的連帯心による寄付に支えられている。


「自立支援」できる組織としての釜ヶ崎支援機構を

 先に釜ヶ崎支援機構設立趣旨書でもふれた「ホームレス問題連絡会議」の「ホームレス問題に対する当面の対応策」では、「検討に当たっての基本的視点」として次のように書かれている。
「ホームレス対策は、ホームレスが置かれた様々な状況に応じて、それらの人が自らの意思で自立して生活できるように支援することが基本とならなければならない。同時に、老齢や健康上の理由などから自立能力に乏しい人々に対しては、適切な保護を行う必要がある。
 したがって、野宿生活を前提とした支援は、あくまで緊急的、過渡的、限定的なものにとどめる必要がある。」
 『当面の対応策』は、実効性ある雇用対策に触れていないことで致命的な欠陥を持つものと思われるし、それ故に「自立支援事業」の先行きも心配されるところであるが、「野宿を前提とした支援」を長期的なものとして考えてはならないという指摘は、正しいものであると思いう。
 釜ヶ崎反失業連絡会のこれまでの野宿生活者支援活動は、その時々の必要に迫られて、なさねばならぬ事に精一杯取り組んできた結果であるとはいえ、「野宿を前提とした支援」であったことは確かである。
 釜ヶ崎支援機構は、それらの野宿生活者にとつて切実で必要な支援活動を縮小することなく、国の『当面の対応策』では不十分な就労確保に取り組むことによって、実りある「自立支援事業」を実現することに貢献したいと考えている。
 振り返ってみれば、釜ヶ崎反失業連絡会の活動は、大きな社会連帯の動きに支えられてきた。
 全日本自治団体労働組合、とりわけ自治労都区・政令都市共闘会議民生部会の職場体験に根ざした政府や自治体に対する働きかけや、連合大阪の施策・提言をとりまとめた「日雇労働者・野宿生活者問題の現状と連合大阪の課題」を踏まえての活動、最近では、部落解放大阪府民共闘会議と部落解放同盟大阪府連合会の主催でおこなわれた釜ヶ崎現地フィールドワークと討論集会など、諸団体・諸個人の活動に支えられ、励まされてきた。
 いま、あらたに、力不足を顧みず、「自立支援」事業、就労対策に取り組もうと一歩踏み出そうとしている釜ヶ崎支援機構に対しても、多くの団体・個人のご理解とご支援をお願いいたします。
(釜ヶ崎支援機構 事務局長 松繁逸夫)-「市政研究」1999年原稿