「野宿生活者は気楽」は、本当かー路上死の現実

 

「大阪市における野宿者死亡調査」

2000年の路上死 213例の分析結果から・・・・

 

 下の写真は、1999年9月に、西成区にある西成公園で撮影されたものです。写真のテントで生活していた人が、テントで亡くなったことを悼み、近くで同じようにテント生活している人達が祭壇をもうけ、花やお水、酒などをお供えしていました。

2000年に野宿生活者の路上死が発見された区は、右の円グラフで現わされます。(これから紹介する数字は、2000年に大阪市内で発生した野宿者の死亡の実態を大阪府監察医事務所の資料等をもとに、大学の先生や監察医などが分析されたものの紹介です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒い冬を迎えていますが、凍死が最も多いのは2月です。餓死は11月に多かったことが、上の棒グラフで判ります。このほかに、自殺が29例あったそうです。餓死・凍死者の年齢で最も多いのは60歳代ですが、路上死213例全体の平均年齢は、56.2歳とされています(最少年齢は20歳、最高年齢は83歳)。性別は男性が209人、女性が4人でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

野宿生活者の死亡発見時の所持金は、「一文無し」といっていい100円未満が41.5%で、一食分も心許ない金額500円未満とあわせると57.3%を占めています。まだ何とかなったのではないか、と思える1万円以上の所持金があった人は13.4%で、野宿にいたるまでの「絶望」の深さを考えさせられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「標準化死亡比」というのは耳慣れない言葉ですが、「総死因」を例に単純に説明すると、野宿生活者は、そうでない人々の3.56倍高い確率で死んでいるということになります。

「結核」では、大阪市内野宿生活者8,660人のうち13人が結核で死んでいますが、それは、全国の男性が結核で死んだ数字と比較して、44.42倍になるということです。

結核は、平成11年に「結核緊急事態宣言」が当時の厚生大臣から発されたことに示されているように、結核にかかる人が増える傾向にありますが、昔と違って、医者にかかり治療を受ければ死ぬような病気ではありません。それは他の病気についても言えます。唯一全国平均の死亡率を下回っているのは、「悪性新生物(いわゆるガン)」による死亡だけです。

「自殺」は、長引く不況の影響もあり、1990年から全国的に微増傾向でしたが、1998年に急増し男子22,388名,女子9,396名となっています。男子の22,388名は,人口動態統計が開始された1899年以来最大の自殺数であり,女子の9,396名も1958年の9,746名に次ぎ歴代2位となっています。現在は自殺の第三次ブームに突入していると考えられます。野宿生活者の自殺は、更に高い6倍となっています。一見「気楽」と見える野宿生活者の路上生活が、常に高い死亡率にさらされていることが明らかにされた調査結果であるといえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野宿生活者が死亡して発見された場所のほとんどは、路上であり、公園です。駅・地下街のように多くの人が行き交う空間でも亡くなっています。

「死亡直前の生活状況」が判るということは、半数以上の人が、寝場所としているところで、体調が悪く、あるいは飢えて身動きできない状態で亡くなったことをうかがわせます。

テキスト ボックス: 「大阪市における野宿者死亡調査」研究者
黒田研二(大阪府立大学・社会福祉学部)
坂井芳夫(大阪府監察医事務所)
逢坂隆子(四天王寺国際仏教大学国際仏教研究所)
的場梁次(大阪大学大学院社会医学専攻法医学講座)
※研究と資料提供にこの場を借りて謝意を表します。

 直前の生活状況が不明な人も半数近くいます。現金収入を得るために、段ボールやアルミ缶を集めて歩き回っている途中に、あるいは食べるものを求めて移動しているさなかに、あるいは、石を投げつけられたり、蹴飛ばされる心配なく安心して寝られる場所、休息できる場所を求めて移動している途中に、路上で息絶えたと思われます。一見、陽溜りの中で気楽に日向ぼっこしているように見える野宿生活者。しかし、その人は、畳の上で日常生活を送るわれわれよりも高い確率で死にさらされているのです。