「あの人」が野宿生活者となる「なぜ」を考える

中高年齢者の失業・廃業の受け皿が・・・

社会的弱者への対策無き「構造改革」が・・・

 JR環状線新今宮駅の南に「あいりん総合センター」という建物があります(左写真)。下の写真は、その建物の一階フロアーを臨時の寝場所として利用した1998年当時のものです。900名以上が寝泊まりしたこともあります。

 みなさんのまわりで野宿生活者が目につくようになったのは、何年くらい前からのことでしょうか。

 

 

 

 

 

 下のグラフは、働いている人の人数の増減を産業ごとに現わしたものです。グラフを見て一目でわかることは、農林業(黄色の線)に従事している人が一貫して減り続けていること、サービス業(水色の線)に従事している人が一貫して増え続けていることです。もう一つ増え続けている線(赤色)は、失業率です。同じグラフの上に表示するために、失業率は100倍しています。赤色は全国平均、焦げ茶色は近畿の失業率です。全国平均よりも失業者が多いことを示しています。

 失業率は、1997年から大きく跳ね上がっていますが、他の線を見ると、1992年から緩やかに下降を続けていた製造業での従事者の減少がその年から大きくなっていること、建設業も減少に転じていることがわかります。

 野宿生活者が増え始めたのは、1990年からですが、格段に増えたのは、1997年頃からでした。失業率の上昇に従って、ようするに、日本国内で失業者が多くなるに従って野宿生活者も増大してきたといえます。

 サービス業で働く人は増え続けていますが、製造業や建設業で働く人の減少に見合うほど増えているわけではありません。中高年齢男性が働ける職場が、サービス業では少ないという事情もあります。

 1999年に実施された「大阪市立大学都市環境問題研究会」による「野宿生活者聞き取り調査」によれば、調査対象となった野宿生活者の97%が男性で、平均年齢は55.8歳でした(円グラフ参照)。

 野宿生活者の多くが、野宿にいたる直前は建設現場で働いています。

社会人として働き始めた最初の仕事は様々ですが、野宿直前の仕事は建設・土木の現場仕事が多くなります。建設・土木産業は「失業の受け皿」として多くの労働者をこれまで受け入れてきましたが、最近は逆に失業者を出す産業となっています。

 「失業の受け皿」となる労働現場、産業がないから、野宿生活者が増えたのです。

 

 

 

西成区内釜ヶ崎(あいりん地区)では、国の緊急地域雇用創出特別交付金を活用しての雇用対策事業が実施されています(写真上:朝の受付風景)。55歳以上を対象にした登録輪番制で、1日5,700円(弁当代400円を含む)の収入になりますが、登録数が2,800人を越えているにもかかわらず、1日就労できるのは、218人に過ぎませんから、1ヶ月に3回ほどしか仕事にありつくことができません。

 野宿生活を続けながら、輪番がまわってくるのを楽しみにしているのです。

 輪番就労は、唯お金をばらまくシステムではありません。大阪市内の空き地の除草作業や(写真中と下)、各区の道路の清掃など広く社会に喜ばれる仕事で汗を流すことによって「賃金」が支払われる仕組みです。野宿生活者の多くは、自分の体を使って働くことによって、収入を得て、一日三食食べられ、安心して寝られる居住空間を確保することを望んでいます。社会の仕組みの中で仕事の場が不十分になり、野宿生活者が多く存在するようになったのですから、社会の仕組みとして新たな仕事の場が作り出されることは必要なことです。

 野宿生活者に、働く場所を !