第5章 包括的政策の提起
1.雇用の保障と創出
第2章第2・3節、第3章第3・4・5・6節では、現在の日雇労働者・野宿生活者政策の問題点と課題を述べ、それを踏まえて新たな諸政策についても触れた。いずれも重要な点であるが、各論的な政策提起にとどまっている。これに対し、本章では、包括的で中長期の政策を提起する。この場合、いうまでもなく第4章第3節で述べた「基本的考え方」を念頭において述べていきたい。しかし、この第5章においても、緊急を要する課題や政策については、その都度指摘しておきたい。

(a)雇用機会の創出に向けて
1980年代以降我が国の雇用のあり方をめぐって、いくつかの新しい動向が生じている。その一つは正規雇用者の削減と非正規雇用者の増加であり、第2はその非正規雇用者の雇用形態がパートタイマー、アルバイト、フリーター、派遣労働者など多様化が進んでいることにある。さらに第3として、正規雇用者においては、総合職と一般職、全国社員と地域限定社員などいくつかの社員区分管理が実施され、多様化が進んでいることにある。
かつては、正規社員に対置される非正規雇用者として、日雇労働者の他に臨時工、社外工などが多く存在した。しかし、こうしたいわば旧来の非正規雇用形態で働く労働者の数は減少の道をたどっている。日雇労働者数も、1980年当時55万人を超えていたのが1996年には30万人に減少した。
日雇労働者は、なるほど今日増加しつつある非正規雇用の先行的形態であるが、「寄せ場」を求職の拠点としてきた中高齢者を中心とする漂泊型の日雇労働者は、他産業で失職し、駅前手配や新聞・求人雑誌によって日々雇用される20〜40歳代の労働者達、あるいは一部の領域では外国人労働者などに、その仕事を奪われつつある。また、他産業の人材派遣業者の建設業への参入にともなって、寄せ場以外での求人が増える傾向がある。これらによって、建設産業における「寄せ場」の労働市場機能は低下しているといえよう。

では、こうした状況のもとで、しかも先に指摘したように建設業全体での雇用者数が今後減少するという予測をも踏まえて、これら漂泊型日雇労働者の雇用は、どのようにして確保されるのだろうか。
あいりん総合対策検討委員会の『あいりん地域の中長期的なあり方』(1998年2月、以下では『検討委員会報告書』と略称する)は、中長期的な対応として複線的雇用形態の選択を可能にするため、新しくフロー型雇用情報センター(仮称)の創設を提案している。日雇労働を含む多様な非正規雇用(フロー型雇用)に関する職業紹介、求人情報の提供や各種相談、職業訓練などを、そこで行うとしている。このセンターの創設によって、日雇労働者の就労機会が増えることを大いに期待したい。

しかし、建設不況が深刻化している現在においては、緊急の施策も同時に要請されている。現在不況の深刻な地方においては特別措置法による雇用創出対策が国によって実施されているが、この大阪をはじめとする全国の日雇労働者集中地域において、時限立法として特別雇用創出対策が実施されてしかるべきである。また、中高齢者の日雇労働者が長期にわたって失業・野宿生活状態に置かれ、社会的に排除されていることを考えれば、これら労働者を対象に職業訓練などを含めた「社会再参入のための雇用促進プログラム」といったものが、国及び地方自治体において考案されるべきであろう。もちろん、これには、現在実施されている「高齢者特別清掃事業」の量的拡大も含まれる。
雇用については、仕事を探す上で選択できるいくつかの途を示すとともに、またその仕事を担えるような能力を身につける機会を提供することも重要である。

さらに、健康を損なっている高齢労働者などには、以下の政策も重要である。
『検討委員会報告書』は、健康を損なっている労働者に対して、健康回復を優先的に行うこと、回復後は建設業以外への転職のための職業・生活指導体制を経過的に整える必要があるとし、それには雇用、福祉、環境といった区分を超えた総合的センターの創設が重要であると述べている。
また、『同報告書』では、「就労促進の福祉施策」として「社会福祉の他の領域で、一定評価を得ている福祉工場、シルバー人材、授産施設のコンセプト、経験を導入すること」を述べている。健康回復が図られても、もはや身体的に過酷な肉体労働を要する日雇い仕事ができない労働者にとっては、重要な施策であると考えられる。

現在の釜ヶ崎日雇労働者の雇用をめぐる状況は、「日雇労働、さもなくば野宿生活」といつたように選択の余地のないものとなっている。したがって、いくつかの選択可能性を提示するとともに、それは個々の労働者の身体的・年齢的条件にあったものでなければならないだろう。
こうした雇用創出プランの実施には、もちろん行政、とくに労働行政を専管してきた大阪府に対し、財政的負担を強いることになる。しかし、現在日雇労働者に対する労働行政には、局地的・限定的な対策にとどまっていることにより限界があることを勘案すれば、すぐにでも実施されてしかるべきである。
その上、一般に労働行政は都道府県が担うべきものとの認識が広く行き渡っているが、市町村が(あるいは府と市が共同で)担うことも可能である。すでにその先行事例として、岡山県の津山市を中心とした15市町村によって結成された「津山圏域雇用労働対策推進協議会」の活動がある(これについて、我々の研究会では、澤井勝氏にご報告をいただいた)。大阪市が独自で労働行政を実施することには困難があろう。しかし、府と市が協力してそれを実施することは可能であるし、とりわけ、「雇用、福祉、環境といった区分を超えた総合的センター」とか「就労促進の福祉施策」を実施するには、必要不可欠となるだろう。

(b)建設業における雇用の適正化と退職者生活保障
ところで、建設業では日雇労働者も含め雇用者数が削減される傾向にあるとはいえ、釜ヶ崎の日雇労働者のほぼ全員が建設業に従事している。その点から、やはり建設業界に対しても日雇労働者の雇用の安定化と退職後生活も含めた所得の確保を要請していかなければならない。
建設業では、需要の変動の激しさによって、日雇労働者の雇用と生活は大きく左右されてきた。労働関係行政機関は、違法な求人活動の排除、募集活動の適正化などを行い、事業主への指導を行ってきたが、必ずしも徹底されていない。今後一層の行政指導が必要であろう。
今期の経済不況期においては、景気回復への足がかりを掴む上で公共投資の前倒しが必要であろう。それによって建設業の急激な雇用不安を緩和する必要がある。また、発注官庁ならびに建設業者双方が、受注事業の工期設定の平準化に努力し、日雇労働者の安定就労に積極的な役割を果たすことが望まれる。

建設業では、全体として機械化の進展が著しい。したがって釜ヶ崎の日雇労働者においてもそうした業界の要請に応えるべく技能工を養成していかなければならない。あいりん公共職業安定所の実施している技能資格取得促進事業の一層の拡大を図る必要がある。
他方、雇用保険の受給資格要件を弾力的に運用することによって、就労日数の少ない労働者にもいくらかの失業手当てが支給されるような工夫がなされるべきであろう。さらに、先に<資料4>で示したように、建設業退職金共済制度の余りにもずさんな運用については、建設業界は厳しく反省をする必要がある。この点で、当事者である事業主はもとより、発注者たる行政と元請負人の責任もまた、大きいと言わざるをえない。
また、日雇労働者の高齢化が著しく、今後さらにそれが進むことが予想される。その意味で、雇用保険・健康保険などの社会保険制度や退職金制度の拡充と適用促進を業界団体に指導し、政府自らが取り組む必要がある。

(C)自前の雇用創出事業の展開
雇用機会の保障にあたっては、もちろんこれまで多くの日雇労働者を雇用してきた建設業界に雇用促進を要請すること、行政に対し労働市場全体の動向を踏まえ、かつ高齢者の増加という事態に対応する施策を求める必要がある。
しかし、意欲と新しい能力を身につけて、自ら雇用機会を創出していくことも不可能ではない。いやむしろ、これまで日雇労働者の多くは自業自得意識の中に埋没し、また現地労働組合は建設業界や行政への対抗的姿勢の中で要求運動にのみ陥る傾向があり・自ら積極的に雇用を創出すること、あるいは社会の多様な団体による取り組みーたとえば労働者協同組合ーなどに学ぶことを怠ってきたのではないだろうか。
しかし、近年、「野宿者と釜ヶ崎労働者の人権を守る会」などでは、労働者協同組合を創設してリサイクル事業などを手がけようというプランが検討されている。現に、釜ヶ崎とその周辺地域で野宿生活をする者の中にはすでに電化製品その他のリサイクル、あるいはリサイクル可能な部品や資材の回収事業に取り組む者も多い。こうした取り組みを労働者協同組合として組織し、多くの労働者に安定した雇用機会を提供しようというものである。
あるいは、先に紹介した欧米諸国で行われている労働者新聞の刊行と販売という事業を、これら外国の発行元や日本のNPO組織の協力を得て、取り組むことができないだろうか。
とはいえ、こうした事業の実施にあたっては、資金の確保、経営のノウハウを持った人材の育成、そして多くのボランティア・NPO組織による社会的な支援を必要とする。とりわけ、こうした運動のリーダーとなるべき人材が必要である。こうした諸課題を検討するかぎり、現在の釜ヶ崎の労働組合やボランティア団体の内部の人材だけでは、実現に多くの困難をともなうだろう。したがって、とりあえずはリサイクル事業を行っているNPO組織や労働者協同組合との交流を深めることにあるのではないだろうか。
いずれにしろ、多くの困難があるとはいえ、可能性のある取り組みである。


2.居住権保障と生活支援の街づくり
(a)居住権保障
日雇労働者はその雇用形態からして、職場で恒常的な人間関係を取り結ぶことは困難である。また、生活の拠点となっている簡易宿所は、必ずしも定住場所とは言い難く、一定期間過ごした後、他の簡易宿所や飯場に移動していく。これらの結果、日雇労働者の多くは、家族はもちろん地域社会や社会集団に帰属することは希である。
また、日雇労働者・野宿生活者の中には家族との離・死別、将来への失望、生きがいにしていた仕事の失職などの精神的ダメージを受け、自ら社会的関係を絶っている者も多い。
しかも・高齢の元日雇労働者や野宿生活者にとっては、やはり安心して生活していく権利があるし、地域社会や社会集団に帰属することで自らの能力形成や自立生活を送ることが可能となる。すなわち、住居は、個人の能力形成ならびに家族や地域社会との絆を形成する上で、最も基本的なものである(国連開発計画、前掲、38ぺ一ジ)。

これに対し、日本の社会政策においてはこれまで住居を問題にすることは、まったくと言ってよいほどなかった。あくまでそれは、家族あるいは個人自らが獲得すべきものとして論じられてきた。その結果、野宿生活者は、いわば生活保護からも見放されることになった。しかし、1987年の国際居住年、1996年の国連人間居住会議(ハビタットU)などを経て、近年になって「生存権としての住居保障」の論議が始まってきた(日本住宅会議『住宅会議』44号、1998年、27ぺ一ジ。穂坂光彦「野宿生活者の『居住の権利』」、<笹島>問題を考える会『<笹島>問題をめぐる現状と政策提言』1998年、所収)。
では、釜ヶ崎の日雇労働者や野宿生活者への居住権保障実現の可能性はどの程度あるのだろうか。欧米諸国のように空き家住宅占拠運動やその権利を認める法律がない日本においては、未だ展望は厳しいといえる。

こうしたなかで、『検討委員会報告』では、公営住宅法施行令改正にによって、50歳以上の男性単身者の入居が可能になったことに注目し、高齢単身者向け公営住宅の建設の必要性を述べている。また、『同報告』は、公営住宅法の改正では公営住宅に福祉施設を併設する場合の公営住宅の建て替え要件が緩和されたことも指摘し、釜ヶ崎の総合対策の実施においても住宅政策と福祉政策の連携を求めている。
このように、『検討委員会報告』では住宅保障の必要性を述べている。公共の低家賃住宅の建設は急がれなければならない。しかし、超過密地帯である釜ヶ崎の地域内部にそれを建設することは可能であろうか。野宿生活者が大阪市内全域に広く存在していることを考えれば、こうした住宅の建設は市内いくつかの場所において分散化しておこなう方がよいかもしれない。

(b)生活支援の街づくり
日雇労働をしながら飯場や簡易宿所を移動しながら暮らす、また野宿生活を余儀なくされる、こうした生活形態の中では、生活者としての主体的自己を維持・発展させることは困難である場合が多い。一般に、家族、職場社会、地域社会あるいは何らかの社会集団に恒常的に属し、一定の社会関係を取り結び、社会的役割を果たすことで、「生きる」ことに意味を見いだすことができる。また、そうした中で、自己の人格形成や能力を維持・発展させることが可能となる。
家族や職場社会への帰属が困難な彼らにおいては、地域社会あるいはボランティア団体(日雇労働者の場合、労働組合)などの社会集団との関わりを作り上げていく以外に、そうした資質を維持・発展させることはできないし、生きる意味もなかなか見いだせない。

そして、こうした社会関係を作り上げるには、さしあたり釜ヶ崎で日雇労働者や野宿生活者が忌憚なく寄り合える「コミュニティーホール」などを造り、そこで労働者や野宿生活者がくつろぎ、会話を楽しめるようにすることが必要である。また、ここを拠点としてボランティア団体、労働組合、社会福祉団体、行政などがそれぞれの活動を展開し、彼らの仕事・生活・福祉・医療を支えるための情報を提供するとともに、「総合的相談窓口」を開設することが必要である。
また、野宿生活者は釜ヶ崎とその周辺地域に多いとはいえ、大阪市全域に広がりをみせていることから、こうした「総合的相談窓口」は、釜ヶ崎にだけ限定するのではなく、大阪市内に複数開設することが望ましい。
我々の研究会では、横浜市寿生活館の前相談員宮永耕氏に、同生活館の活動を報告していただいた。同生活館は、一方的に行政施策を日雇労働者などに適用するのではなく彼らと対等に近い立場で相談に応じていること、また地域での自立した住民組織の育成などの取り組んでいるという。
大阪釜ヶ崎では、日雇労働者数が圧倒的に多いこと、暴動が何度も発生したという歴史的経緯があるなど、いくつかの困難があるとはいえ、行政と地域団体の協力の下で、寿生活館のように地域で暮らす労働者に開かれた施設が創られることを望みたい。
こうした施設や相談窓口の開設にあたっては、行政の積極性が望まれる。しかし、その運営は、法的枠組みに縛られがちな行政の力だけではできない。むしろ、地域のボランティアとの積極的な協力が必要であるし、また労働者の相談を受けることの資質を持った相談員の育成が必要である。

ところで、とくに高齢労働者が真に自立生活を送るには、箱モノを用意するだけでなく、地域社会への参入のきっかけや仕掛けをどのように作っていくかも問われなければならない。横浜の寿町では、1997年10月、日雇労働を引退した高齢者達が行政と協力して地域内に「高齢者ふれあいホーム木楽な家」を創った。また、これには地域での昔ながらの住民達からの理解も必要であっただろう。釜ヶ崎においても、今後一層高齢者が増加することを考えれば、このような「老人憩いの家」のような施設を「コミュニティホール」の中に開設することも考えられてよい(注13)
釜ヶ崎においても、日雇労働者、地域住民そして行政が協力して、居住権保障、生活環境改善、社会福祉施設そして社会的交流を図る空間の創出などを柱とした街づくりの総合計画の作成に取り組むべき時代に来ているのではないだろうか。