3.福祉と医療
(a)事前的・予防的サービスの充実
『検討委員会報告』も述べているように、釜ヶ崎の日雇労働者・野宿生活者に対する社会福祉サービスは、事後的・保護的なものに偏っている。しかも、『同報告書』は、「提供されているサービス自体は、一定の水準に達しているものであるが、それらが具体的なこの地域の居住・滞在者に成果をもたらしているかというと、重大な疑問が起こる。しかも、その費用は膨大である」と手厳しく批判している。すなわち、これまでの社会福祉サービスは、釜ヶ崎の居住・滞在者のニーズの点から、またコストの点からも、根本的に見直す必要があるのである。
とくに重要なものは、事前的・予防的なサービスの充実である。高齢労働者が長期にわたって仕事にアブレ、野宿生活をせざるを得ない状況、そしてそれによって健康を害することがしばしば生じることを考えれば、「福祉的機能を有する短期宿泊施設(シェルター・プラス・ケア)」がまずもって優先的に必要となっている。
居住権保障がなされていない日本においては、こうした短期宿泊施設によって衰弱した野宿生活者に短期間とはいえとりあえず心身共に休める場所を提供することは、緊急の課題である。しかも、その宿泊施設は、生活者としての意欲や自立への能力回復を目的とした福祉ケアを併設している必要がある。
先の第3章第3節(b)で、大阪市負担により自彊館三徳寮で開設されている「生活ケアセンター」(20名収容、実質25名入所、2週間を限度)について触れたが、こうした施設の拡大・発展がきわめて緊急になされるべき課題として強く望まれる。

今日の野宿生活者の増加という事態の中で、現地のボランティア団体「釜ヶ崎反失業連絡会」と大阪市の交渉の中で、今年8月17日から9月30日まで、三徳寮の一部施設を「臨時生活ケアセンター」として開設し、1回(2泊3日)につき45名ずつの受け入れを行った。そして、合計延べ853名(平均年齢55.2歳)もの多くの利用があった。この事実が、こうした短期宿泊施設の必要性を何よりも雄弁に物語っている。
さらに、自立支援という意味では、第5章第1節(a)で指摘したように、福祉工場や授産施設などもまた重要であろう。

(b)総合福祉施策の展開
今日の福祉行政が「ノーマライゼイション」「共生」「在宅(居宅)における生活」といった言葉に集約されるように、個々人がそれぞれの地域で共に生きる権利をどのように保障していくかが問われている。行政の公平性の観点からも、釜ヶ崎におけるこの理念を基本とした施策の確立が求められている。そのためには、日雇労働者や野宿生活者が精神的・身体的に生きる能力を失ってしまう前に、事前的・予防的な施策を創造していかなければならない。また、施設収容型の現在の施策から、地域で共に生きていくための施策への転換を図る必要がある。

そのためには、行政窓口の総合化、「決定がそれとも却下か」といった硬直的な相談の受け方を放棄し、個々人の状況や要求に柔軟に対応できる行政機関のあり方が検討されなければならない。具体的には、更生相談所の機能拡大あるいは新たな機関への改組が望まれる。また、こうした機関の職員は法的な枠組みを一方で重視しながらも、同時に日雇労働者・野宿生活者の生活を支えるアドバイザーとしての意識を持つ必要もある。この点、横浜の寿生活館の活動は注目すべき点もあり、検討されるべきだろう。
労働者や野宿生活者の要望・ニーズには生活保護以外のものも多い。それらのニーズに応えるには、福祉施設を専管事項とする現在の更生相談所では限界がある。したがって、それぞれの多様なニーズに対応できるような専管機関の設置とそれによる総合的窓口の開設が必要である。これまでの記述の中で、「コミュニティホール」と「老人憩いの家」、「福祉と一体型の療養施設」、「福祉的機能を有する短期宿泊施設(あるいは生活ケアセンター)」、「福祉工場」などに触れたが、こうした多様な施設をもった複合施設の建設が必要ではないだろうか。
しかも、ニーズの中には、行政だけで対応するには限界のある課題や、それが望ましくない課題もある。また、こうした多様な施設の管理には行政だけではとうてい運営しきれるものではない。したがって、この専管機関は、現地の福祉法人やボランティア団体と協力して臨機応変で具体的な対応ができるように、相談態勢・運営体制を工夫することが必要である。

他方、生活保護のあり方については第3章第3節で述べたように、居宅保護の拡大と生活保護施設の受け入れの拡大が求められている。また、それと合わせて、自立支援・生活指導の充実も大きな課題でありケースワーカーなどの増員が必要である。また、生活保護法は「最低生活の保障」と「自立助長」が併記されているが、必ずしも「自立助長」につながる施策が展開できるような具体案を含んでいない。したがって、本当の意味で自立支援、ケアマネジメントを実施できるような法整備を政府に要求していく必要がある。あるいは、とりあえず自治体レベルで条例を設け、先行事例を創造することも考えられてよいのではないだろうか。
いずれにしろ、生活支援、社会的交流、能力開発、そして福祉と医療が総合的に展開できるような施設の構想を打ち立て、それを行政、ボランティア・NPO、地域住民そして元日雇労働者や元野宿生活者などによって協力し合いながら運営していくシステムを打ち立てなければならないだろう。また、野宿生活者が大阪市内全域に広がっていることを考えれば、市内のいくつかの地域ではこれらと同じ機能を持ったミニ施設を建設し、相互に連携しながら運営するいわばネットワーク体制を構築することも必要であろう。


4.勤労者・市民への啓発
第4章第2節で述べたように、市民の中には、日雇労働者や野宿生活者に対し、偏見と差別的眼差しを持っている者が多い。その場合、ややもすると日雇労働者や野宿生活者の労働・生活実態について正確な情報を得ることなく、外見から予断と偏見に基づいて差別的眼差しを向けている者が多い。その意味で、市民に対し行政はもっと多くの啓発活動をおこない、人権意識を高める必要がある。
しかし、こうした情報発信や啓発活動は、何も行政の専管事項ではない。むしろ、日雇労働者や野宿生活者の問題に関わっているボランティア団体や日雇労働者・野宿者自らも担えるし、そうすべきではないだろうか。市民の意識を変えるには、文章や印刷物も重要であるが、直接的な対話や交流をはかれる場を創ること、彼らがもっと社会に出ていく機会を作り出すことが必要ではないだろうか。先に、欧米諸国の労働者新聞を紹介した。彼らの生の声をこうした新聞を発行することによって、広く市民に伝えるとともに、それを手段として交流の機会をつくることが最も効果的だろう。
その意味で、情報発信をいかにおこなうかが重要であるし、それによってこそ市民の共感的理解が得られると思われる。
また、単に理解を得るだけでなく、できれば社会的支援とボランティア活動への参加を積極的に促すことも重要であろう。


5.行政責任と現地諸団体の役割
(a)政府・自治体の責任
今日の野宿生活者の増加は、次のように整理できる。@建設日雇労働市場が全国市場として展開し、近年の不況にともなってこれらの日雇労働者の多くが仕事にアブレ野宿生活化していること、Aとくに高齢労働者にその傾向が著しいこと、B建設産業以外でも失業率の上昇にともなって一部に「失業→野宿生活化」の現象が見られること、C家族関係のトラブルなど人間関係を原因として日雇労働者になる者、野宿生活をする者がいること、D東京、大阪をはじめとする大都市に共通してみられる問題であること、そして、E今後野宿生活者がさらに増加する可能性が高いこと、以上であった。
さらに、こうした日雇労働者問題や野宿生活者問題への対応策の実施は、多岐の領域にわたって実施されなければならないことも、上に示した通りである。とりわけ、労働と福祉・医療という限られた行政領域を越えて政策を立案・実施していく必要性を述べた。

日雇労働者問題・野宿生活者問題は大阪をはじめとする大都市で発現している。しかし、これは全国的な問題として認識する必要がある。なぜなら、経済社会的理由・個人的理由の如何に関わらず全国から大都市に集まった人々によって日雇労働者・野宿生活者が構成されていること、日雇労働市場が全国市場として展開していること、野宿生活者問題は大都市で発現しているのはひとえにそこが彼らにとって“住みよい空間"が残されていることによるものだからである。したがって、こうした問題にどこよりも直接に関与すべきは日本政府自身である。しかし、現状では、日本政府は、そうした自らの責任をかえりみることなく、当該地方自治体にその責任を押しつけている。
すでに、毎年のように五大都市の福祉・民生局長は協力して厚生省社会・援護局に「簡易宿所密集地域福祉対策事業に対する国庫補助等財源措置に関する要望書」などを提出し、国が積極的にこの問題に取り組むよう促してきた。また、自治労とくに同組合内の「自治労大都市共闘会議民生部会・『労働者の街』連絡会」も、「『労働者の街』地域対策に関する要望書」を労働省・厚生省に提出している。しかし、政府は、いっこうにこれらの問題について自ら検討し、政策を実施しようとしてこなかった。
行政の基本的役割は、都市社会に限らず日本社会すべての地域において、人間が人間として尊重され、人間らしく生きていける社会を実現することであり、野宿生活を余儀なくされている人々にとってもこのことは当然実現されなければならない。

行政は、野宿生活の発生を防止し(所得機会の保障)、野宿生活を余儀なくされずにすむ社会の実現(居住権保障)を図るとともに、やむを得ず野宿を余儀なくされている人々に対しては自立更生のための相談や支援(食料援助・居宅保護・能力開発)を行い、野宿生活者の状況が悪化した場合には保護施策(医療提供・施設保護)を講じて問題の解決に当たることが求められる。さらに、広く市民に対しては、野宿生活者の現状を正確に伝えて偏見と差別を止めるよう、啓発活動を行うとともに、多様な形態での支援活動を訴えていくことが必要である。まさに、総合的施策の体系化と実施が求められているのである。
とくに、大都市における自治体は相互に緊密な連絡を取る中で、歩調を合わせて積極的施策を打ち出すことが望まれる。一部の自治体が先行して積極的な施策を実施することも重要であるが、それを他の大都市にも広げていく努力がなされないと、一部大都市への日雇労働者・野宿生活者の移動が生じ、その大都市の財政を悪化させることになりかねない。
最大の日雇労働者の街を抱え、野宿生活者の増加もきわめて著しい大阪においては、大阪府・大阪市が全国の大都市自治体に先駆けてそうした施策を立案・実施し、それをもって他の大都市と日本政府にも実施を迫ることが必要である。こうした先進的な施策の実施は、戦前の大阪において見られた(たとえば、杉原薫・玉井金五『大正・大阪・スラムーもうひとつの日本近代史』新評論、1986年、第5章を参照)し、今まさにその伝統を想起すべき時である。

(b)現地の労働組合・ボランティア団体
釜ヶ崎には、いくつかの労働組合、ボランティア団体がある。これらの組織は、これまでも活発に活動を行ってきた。
現地の労働組合は日雇労働者をとりまとめ、業界、事業所や関係行政機関に対し、様々な要求運動を行い、また日雇労働者の雇用・生活改善に関する提案を示している。たとえば、全港湾建設支部西成分会は、夏季・冬季の一時金要求において、1万数千人の日雇労働者の委任を受けて交渉を行い、その支給を取りまとめている。他の労働組合においても、日雇労働者・野宿生活者の切実な要求を実現すべく、大阪府・大阪市などと交渉を行っている。また、日雇労働者の各種相談にも応じている。このように、現地の労働組合は、日雇労働者にとってはなくてはならない存在となっている。
釜ヶ崎にはいくつかのボランティア団体がある。それぞれ、宿泊や休憩場所の提供、医療や生活相談、「炊き出し」の提供などの福祉活動を長年にわたって実施している。また、年末年始の越冬闘争、冬季には夜間パトロールを行って行旅病人の救援活動などを行っている団体もある。多くの野宿生活者にとっては、生死に関わる限界点をこれらのボランティア団体によって支えられているといってよいであろう。
さらに、これらの労働組合やボランティア団体の中には、労働者の能力開発や人権問題などについて、学習・教育活動に取り組んでいるところもある。
多様な労働者の意識や行政ニーズがある中で、行政機関ではそれらすべてに対応できないでいる。また、法や制度に縛られた行政機関には自ずと限界もある。これら労働組合やボランティア団体は、まさにこうした課題に応える活動を日々行っているのである。

しかし、これらの団体は人材の面において厳しい状況にある。また、ボランティア団体は寄付やカンパで、労働組合は収入が不安定な日雇労働者の組合費、野宿生活者の拠出金などにより活動を行っていることから、財政的に厳しい状況に置かれている。
その上、行政施策が不十分であることから、これら行政機関に代わって生活困窮者の最低限の生命維持に関わる活動に日々追われる傾向にある。
本来であれば、現地の労働組合やボランティア団体は、日雇労働者や野宿生活者の自立支援や社会生活についてのアドバイザーとしての機能も求められるべきであるが、それにはとうてい対応できない状況にある。仕事を創出し、不就労者に雇用機会を提供できるようなワーカーズコレクティブの創設の核になること、また地域の労働者・市民が交流できる「生活支援センター」「コミュニティセンター」などでのコーデイネーターとしての役割などが中長期的には求められるだろう。
さらに、今後は、地方自治体と地域で活動する諸団体との信頼関係を醸成しつつ、それらとの連携の下に日雇労働者・野宿生活者の自立支援の方策を模索しなければならない。