『釜ヶ崎生活センター』実現にむけて
1986年8月18・19日の両日、『釜ヶ崎子ども実態調査』がおこなわれた。この調査を計画し、実施したのは『新今宮小中学校の跡地利用を考える会』である。
『会』の経過を詳しくいうならば、この調査が『跡地利用を考える会』の活動の最初のものというわけでも、これまでの要求が根拠のあやふやなものであったというわけでもない。
『跡地利用を考える会』はすでに、地区の子どもたちの学童保育をおこなっている『子どもの里』の指導員中島さんや、かつて『新今宮小中学校』にケースワーカーとして関わっておられた小柳さん、あるいは地元の教師集団のこれまでの体験の集積や、釜ヶ崎の労働者のかかえる諸問題に取り組んできた諸団体の経験を踏まえて、「跡地利用」の大枠での要求をまとめ、釜ヶ崎内外での1万7千人を超える支持署名と共に、大阪市に対して提出(1985年10月7日)している。

会の名称が示しているごとく、今回の調査は、たんなる学術的な関心からなされたものではなく、
1961年8月1日の、いわゆる釜ヶ崎第一次暴動をきっかけに、広く注目を集めた釜ヶ崎のかかえる諸問題への一つの対応策として、プレハブの仮校舎で発足した釜ヶ崎の未就・不就学児童のための学校『あいりん学園』が、
地元住民・労働者・教師などの運動によって、運動場のある学校『新今宮小中学校』へと発展した後、1984年4月、最後の卒業生を送り出して廃校となったことを受けて、
その跡地の有効利用を、より釜ヶ崎の現実に即した『生活センター』創りをおこなうための資料を得、より強く行政に実現をせまっていくための根拠を補強することを目的としたものである。

▲今も続く公園の封鎖
行政が「研究を続けていきたい」と回答したのであるなら、私達は自らの手で要求の裏付けとなる資料を作成し、行政と共にそれを検討・研究することによって、要求の早期実現をせまっていきたいと考え、『釜ヶ崎子ども実態調査』が実施されたのである。
幸いにして、今回の調査は、『跡地利用を考える会』のかかげている『釜ヶ崎生活センター』構想が、署名活動を通じて、多くの人々の支持を受けていたこともあり、調査協力者は他府県からの11名の参加を含め、55名という多人数にのぼり、聞き取りをした子ども225人、日雇労働者ら143人という当初の予想を上回る成果をあげることができた。
大阪市は、私達の要求
((1)子どものために
@学童保育・子ども会の活動の場
A短期間の子どもの保護・宿泊施設・教育相談室
B近隣の学校の教職員・子どもの活動の場とすること
(2)地域住民・労働者のために
(1)の要求実現と関連して、その延長線上に必要な社会教育の場とすること)
に対して、「今後とも、研究を続けていきたい」という、あまり積極的とは思えない文書回答を出してきている。
ここにその成果を小冊子としてまとめ、刊行するのは、多くの人々の運動に対する更なる理解と支援を求めると共に、大阪府・市に提出し、交渉を深め、『釜ヶ崎生活センター』の実現を計るという、『子ども実態調査』の目的にそってのことである。御一読の上、ご協力をお願い申し上げる。

▲ドヤ(一つの窓が一室)と警察の監視カメラ
釜ヶ崎子ども実態調査関連地図
▼新今宮小中学校の歴史の一端を示す

▼花園公園で

▼花園北1丁目路上で

▲萩之茶屋2丁目路上で

▼天王寺公園で

▲萩之茶屋中公園(四角公園)で

▼萩之茶屋南公園(三角公園)で

▼今池コンパ前で
