差別意識を自己切開させた釜ヶ崎労働者の力

釜ヶ崎差別と闘う連絡会議 矢田解放塾 黒田伊彦

T 12月12日のテロップが語るもの

テレビ東京は12月12日の「浅草橋ヤング洋品店」で、早口のナレーション入りで次の様なテロップを流しました。

この夏放送した「ヒッピーはヤッピーになれるか 」企画について、多くのご意見や批判が寄せられました。

とりわけ大阪、釜ケ崎の日雇い労働者の皆さんから、「野宿をせざるを得ない労働者に対して差別意識をもった笑いの企画であり、野宿者差別を助長するものである」との指摘がありました。

番組製作者は、指摘どおりの内容があったことを認め、ここにお詫びいたします。

このテロップから四つの事が確認できます。

@「差別意識をもった笑いの企画であ」ったと世間一般の野宿者への差別意識を前提にし、それにのっかった笑いをつくった。すなわち制作側は野宿者への差別を肯定していたということです。

A そのことを釜ヶ崎の日雇労働者の人々から指摘されて、気がついた、糾弾によって悟らされた、すなわち糾弾がきわめて、教育的になされたということを明らかにしているという事です。しかも無理やり押しつけたのでなく「指摘通り」であると認めて、納得したことを表明しています。

B 自己批判は二回の差別確認会に出席した伊藤成人プロデューサーと倉益琢眞常務取締役だけでなく、製作者全員のものとして出された。事実はテレビ東京の社長決済を経た自己批判文として「経過と反省」と「テロップ」が出されていることに裏づけられています。

C 「野宿者差別を助長するものである」と社会の公器ーメジアとしてのテレビの社会的責任を自覚させたといえます。

U ヤッピーになれぬことを前提とした差別の笑い

最大の争点は「ヒッピーはヤッピーになれるか」というタイトルの思想性でした。

テレビ東京は、ヒッピーは管理社会に反発して、自由気ままに自分の意志で生きている。アメリカ等では、オートバイに乗り、各地を放浪している者達のことだと主張し、野宿労働者を趣味で気ままに生きている者とみなしていました。

一回目の確認会で、自分の趣味的な意志で野宿しているのではなく、不況で仕事がなく、放置する差別行政の中で、野宿せざるを得ないのだという現実を認識させることができましたが、「ヒッピーはヤッピーになれるか」のタイトルが差別意識に根ざしていることを認めませんでした。

野宿者はテレビ東京のいう「気ままな放浪者」というものでなく、世間では「落伍者」とみなしており、ヤッピーはアメリカ、ニューヨークなどの高学歴・高収入のエリートサラリーマンのことで、
野宿者が服装をかえただけで高給エリートサラリーマンになれない事は承知しておりながら、おだてて笑い者にするものであり、
その意図をもって企画したものであることを認めたのは、二回目の確認会でした。

V 釜ケ崎の労働者の教育力

「差別意識をもって、世間の野宿者への差別意識を利用した笑いをつくった」と、やっと自分の差別意識を告発し得るようになったのは、釜ケ崎の日雇労働者の切々たる人生の語りであり、日常生活での嫌悪の眼でみられるくやしい現実のつきつけでありました。

「おれたちも人間だ!」との主張は、確認会の相互討論の中で、「最も人の悲しみを知っている者こそ、人に優しくなれる」状況をかもし出し、人間の尊厳ーかけがいのない存在ーを自覚を自ら認識することになり、「おれたちこそ人間だ」という自覚を育てたといえます。

それは全国水平社の綱領にある「吾等は人間性の原理に覚醒し、人類最高の完成に向かって突進する」という思想に通じるものであったといえます。

W 差別糾弾の不充分さ

確認会はまだまだ不充分なものを残しています。

@ 例えば「本番組は女子高生から20代の女性を視聴者の中心とする」ので「互いに親しく交わり、親しく笑い合う者同志として登場願う」とした制作意図の差別追求は深められませんでした。

それは釜ケ崎日雇労働者は女性から敬遠されている、女性と縁のないものという差別観を前提にしているということです。

A また直接の製作者である伊藤輝夫(テリー伊藤)を批判にひき出すことができず、テレビ東京が「かばう」壁を突破できなかったということです。

伊藤輝夫は「ねるとん紅鯨団」や「名門パープリン大学日本校」などのお笑い番組で高視聴率をかせいでいるデレクターです。

下請けの伊藤輝夫を含むロコモーションへもテレビ東京が責任をもって、「研修させ、報告する」ことになっているのですが、その内容の点検が引続き必要となっています。

B 第三に週刊新潮への抗議です。

11月4日号に「超過激『お笑い番組』を襲った『差別糾弾』」と題し、「″釜ヶ崎の差別を考える会″を名乗る方から、系列のテレビ大阪に抗議の電話がありましてね、うちの担当常務と局のプロデューサーがすでに『一回事情説明に大阪に伺っています。なかなか納得頂けないようですね』(木村英樹広報室長)」と書きました。

テレビ東京は11月5日に「『話し合っているがまだ解決していない』と説明しましたが『テレビ東京の主張を納得してもらえない』というような話はしていません。話し合いの途中で、まだ解決に至っていない段階で、『テレビ東京の主張は正しいのに、それを納得してもらえない』との意味に受けとめられる記事が記載されたことは…中略…強く抗議し…中略…訂正記事掲載を要望します」との文書を送ったと連絡がテレビ東京からありました。

テレビ東京が抗議し訂正を求めるのは当然です。が、記事の末尾に、「徒ーいたずらーに″糾弾″を恐れてビクつくのも情けない話だが、この″裸の王様″に誰も鈴をつけられないのにも、困ったものか。」と書かれています。

″裸の王様″とは、透明な服だとだまされているのも知らず、得意になって裸で歩いているが、周りの者は笑っている状況をいうのです。すなわち一人よがりで得意になっている者、実体のないものの意味です。

私たちの差別糾弾を、裸の王様だということは、一人よがりだといい、そんな思い上っている者をおさえこむ者はいないのかという意味で「鈴をつけられないのにも困ったものか」と糾弾を非難しているわけです。

差別をまきちらし、人権を侵害している事への抗議を、その内容も把握しないで、非難する週刊新潮の態度は許されるものではありません。きちんと抗議することが必要です。

X 笑いの人間文化への冒涜

笑いは人間だけの文化であります。犬や猫も笑っているのかなと思う時もありますが、人間ほど豊かな多様な笑いの文化を持っておりません。

日本人は「ハ行」で笑いを表現しています。

ハッ ハッ ハッという明るく大らかな笑い

ヒッ ヒッ ヒッという人をあざむいた時のあざ笑い

フッ フッ フッと自分だけの満足感を表す笑い

ヘッ ヘッ ヘッというざまあ見やがれ的な復讐的な、下品な笑い

ホッ ホッ ホッと女性のつつましさを表す明るい笑いだが、つくり笑いとも感じられる笑い

などがあります。

だが笑いの社会的な働きとして、笑いを共にすることで、心の絆という共同性、一体感をかもし出す役割があります。

しかし一方、「笑い者にする」というように、傍若無人に人を傷つけ、その残酷さを共有することで、共犯者としてのスリルを味わっているものもあります。

「ヒッピーはヤッピーになれるか」はこの人を傷つける笑いを共有する「差別者」の笑いでありました。それは笑い者にされた人の人権を侵害した自覚のないもので、ヤッピーになれないことを確認した「あざけり」の笑いでもあったのです。

服装で人を判断してはいけないという事を知らしめるというものでなく、逆に服装によつて人を判断することを教えるものでもあったのです。

これは人間の笑いの文化への冒涜だといえます。「赤信号、みんなで渡ればこわくない」というように、タブーを犯した快感のような笑いの雰囲気がまとわりついているといえます。

Y 差別への闘いは終っていない

差別糾弾はまだ終っていません。

テレビ東京が「経過と反省」の中で約束しているように、内部での研修の報告の点検と釜ケ崎日雇労働者の実態を人権擁護の立場から報道していくという約束の実践から、「反省」の中身をみせてもらい、対話は引続き行われます。

私個人はスポンサーの、ジーパンのEDWinや靴のアメリカ屋などに、高視聴率というので金を出し、差別をふりまいて、人権を侵害していた事実を示し、反省をせまる必要があると考えています。

今までの経過をまとめた「報告集」を基にテレビ東京から説明させ、あのタレントの清水圭や伊藤輝夫デレクターの人権感覚を洗い出す必要があると考えます。

更にこの糾弾を「テコ」にして釜ケ崎労働者へ「仕事をよこせ」「凍死を許すな」の行政闘争へ発展させ、建設業など近代産業を支えながら、侮辱されるこの烙印を投げ返す闘いを共にしていくことが大切であります。

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