日刊えつとう
72年12月25日ー73年1月4日(抄録)
釜ケ崎越冬対策実行委員会内日刊えっとう社

 

72年12月25日創刊号

*「冬をみんなで乗切ろう」

 :全部の責任は行政や

  俺達は何度も何度も、行政に対して「何とかしろ、何とかしろ」と言ってきた。

しかし行政は何と俺達に答えたか。「貯金もせず、酒を飲んで、勝手に死んで行く人間を、なんで行政がその尻ぬぐいをしなければならないのですか」などとぬかしよった。

それが、革新、革新といい、労働者の味方みたいな顔している知事黒田以下、全役人の考えや。

 そして西成署は何をしているか。

ゆうべは、商店のカンパを集めていた仲間を連れこみ、俺達の命のかかった越冬対策を妨害しにかかったではないか。要するにロクなことせんのや。

 :みんなの力で、俺達の正月を

 昨年も炊き出しをやり、1日300人もの仲間がテント村で正月をすごした。

今年は今日からテントを張り、炊き出しをはじめ、色々な催しを考えている。

すでに、2〇日から、青カンしている仲間が死なないためにパトロールをはじめている。

 今年はまだ仕事があるせいか、青カンしている仲間も昨年より少し少ない

*「催しものあんない・文化体育」

26日映画(テント村、午後7時)

28日映画(テント村、午後7時)

29日サッカー(午後1時)

3〇日ソフトボール(午後1時)

31日のど自慢(3角公園、午後7時

1日もちつき(テント村、午後1時)

2日すもう(テント村、午後1時)

3日ソフトボール(午後1時)
 ソフトボール、サッカーは場所未定ー4条ケ辻公園集合

*「ウラミハラサデオクベキカ・集中医療相談受付」

 私たち医療を考える会は、越冬テント村で、集中的に「医療相談」をうけつけます。

 これ以上殺られつづけないために、俺たちの命は俺たちでまもろう!

そのためには、仲間みんなの知恵と力を結晶させることが必要なのだ。

体のことや病院へ行った時に、困ったこと・くやしかったこと・腹の立つことを教えて下さい。共に考え、共に解決していこう!

(釜ケ崎医療を考える会)

*「こういうときはここへ」

 @体が悪くなった時、仕事もない時に、金を出して医者にみてもらうなんてことは馬鹿らしい。医療センターならタダでみてくれるんだ。

 中更相(あいりん会館)、労働福祉センターへ行き、体を悪くしたことを伝えると、『医療券』をくれるから、それを持って医療センターへ行こう。でも、酒を飲んでゆくと、追い返されたり、悪いときには医者にどつかれたりするから気をつけよう。

 医療センターの受け付けは8時から12時まで(木曜と月曜は午後からもみてくれる)。医療センター、今冬は正月の間も昼から2時までやることになった。正月の間は医療券はいらない

Aまったく金がなく、泊まる所に困ったとき。中更相に行けば、何とか世話をしてくれることになっている。

 しかし、職員の応待も悪いし、泊まれる所といってもあつかいはよくない。まず、うえ死にしないぐらいのところと思っていたらよい。

Bどんなことがあっても行ってはいけないところ。西・成・署

*「手伝ってほしい・仲間と一諸に暖かく冬を越すために・4条ケ辻公園でテント村を作ろう!」

 きょう、これから、越冬のためのテント村を作る。

*「なかまのこえ」

 詩2編(刻印・プロレタリアの街)

 文芸を取り戻そう!

 この欄は、俺達が忘れていた「詩の心」をとりもどすため。下手でいい。下手な詩や、雑文こそ、俺達にとっては本物。みんなの自由な投稿をまっている。

12月26日 大晦日5日前号

*「業者が『メシ券』を?」

・ :業者の「越冬」

 去年の暮、親睦会と協力会がなれあって、「メシ券」を恩きせがましくくばったことをおぼえている仲間もいるだろう。

もらった「メシ券」を大寅にもっていけば、ゾウ煮かメシが食えるというやつだ。

去年のその予算が、何と25万円。親睦会と協力会が半分ずつ、つまり、12万円ずつ出し合ったという。そして、今年は…。

:殴り込み事件の双頭の腹づもり

 親睦会の現会長は三宝。前会長は今年の5月、その馬鹿さかげんで有名になった鈴木組。

今年の5月に、鈴木組がセンターで木刀殴り込み事件を起こした時、親睦会の会員連中は、みんな「鈴木さんは、くだらぬことをやってくれた」となげき、それ以後、まとまった動きを見せなかった。

 一方、10月にセンターで殴り込み事件(長谷工務店の事件)を起こした協力会は、事件以後バラバラで、親睦会と同じようにはいかないらしい。

事務長の「青空」のオヤジの言うことには、「何とか協力したいのですが、まあ、私の気持ちもわかってください」とのこと。

コーヒー屋にあまっている石油ストーブと、それだけではなんだから、石油カンを1ケ出したいと言う。

 :業者のウソの越冬を許すな

 俺達が越冬対策に協力しろと言った時、ハイと答えた業者は、わずかに7つである。

親睦会は「私達は私達でまとまってやりますから」と、馬鹿にしたように協力を断ってきた。

業者どもが何を言おうと、業者・人夫出し手配師どもは、俺達のことを、ただの金もうけの道具としか考えていないのだ。

*「連載・健康を守る1口メモ」

 金がないとか、いろんな理由で医者にかかれないとき、いくら医者にかかっても病気がよくならないとき、どうすればいいのか? 

医者や薬が病気をなおすと考えるのは間違いだ。病気をなおすのは、1人1人の体にある力(自然治ゆ力)であり、医者も薬もその助手にすぎない。

緊急のときにも「自分の体は自分で守る」心得が必要だ。

その武器となるような、誰でもできる、安全で、確実な治療法をみんなで作っていこう。今日から、毎日病気別に、いくつか紹介していく。

(1)カゼは万病のもとーー(医療を考える会)

*ジャマするポリ公・24日の事件

 24日、越冬対策実行委の仲間がカンパを集めまわっていると、ポリ公がやってきて「恐喝容疑」で不当にも連行していった。

 それで労働者が、「警察は人を助ける運動をジャマし、人を殺す運動をやってるのか」と聞きに西成署へいった。しかし、警察はなんの説明もできず、労働者を釈放した。

*「テント村だより 第1報」

 きのう朝8時頃から、4条ケ辻公園でテント村作りがはじまった。

 大テント3つ、小テント6つ、がはられ、その中心で大きなタキ火が1日中もやし続けられている。

夕方からは、集まった労働者による「のどじまん」が自然とはじまった。ささやかな釜のクリスマスパーティーがはじまった

*「無責任な大和中央」

 21日の夜中、尼ケ崎で7〇才くらいの労働者が急痛を起こし、ほかの労働者といっしょに大和中央病院に行った。

が、大和中央は、「アキ部屋がない」と入院をことわり西成署へ行けとぬかしよった。2人の労働者は、真夜中、西成署に行ったらしいが、その後のことはわからない。

心当りの人はテント村まで申し出て下さい。何とか入院できるように交渉しますので。

*「もよおしものあんない」

 今日やる予定であった映画は28・29日に変更。

 ソフトボールとサッカーの会場は未定でしたが、今宮中学校に決まりました。

 映画:28日「反国家宣言」「アイヌショッタビリ」

29日「黒神」

*「なかまのこえ」

 釜で働く仲間の雑誌を造ろう

 今度働く仲間が造る釜の雑誌をしたいと思います。

 釜ケ崎で十年、2十年のベテランや、にいさんや、おっちゃん等に釜で暮らして来て腹が立ったこと、うれしかったこと、感じたことを書いてこちらへ送ってもらいたいんや。

テント村へもって来てもろてもエェで。いろんな人間いてるけど、やる時はいつも一緒や。1月11日までに、お願いしますわ。ーー(野鳥の会気付編集局)

2月27日 大晦日4日前号

 *「俺達自身で!」

 :たかがふとん、とちゃう

 越冬対策は、病人や疲れた仲間のため、布団を用意している。近頃の値上がりは、越冬対策実行委にもきびしい。去年は1日2十円やった布団が、今年は3十円の借り賃を払わなあかん。越冬実の努力が足らんかったせいもあるけど、今年は財政がピーピーの上に、物価が上がっとるから、年を越すのに苦労しそうや。

 そやから、布団が仲間にいきわたらへん。元気なもんは、たき火のまわりで青カンして、苦しんでいる仲間がちょっとでも楽できるよう、やずりあってる。

 :ゴミをひろえば「窃盗」

 ゆうべ8時頃、テント村のタキギが足らへんかったので、環状線のガードの裏までひろいに行った。道ばたにすててある手ごろなヤツをひろっていると、パトロール中のポリがぬかしよった。「こら、おまえ何しとんや」。「何もかんもあるか、タキギひろてたんやないか」「ひろってたんやないやろ。窃盗やないか」「すててあるもんひろて、何が窃盗や」「ガタガタ言うな。1晩とまって頭冷やせ」てなことで、1日ブタ箱にとめられ、朝メシも食わしてもらえずポイ、というオソマツ 

:『アンコなんかに…』

 ソフトボールやサッカーの会場に予定していた今宮中学の校庭は、借りられなくなった。26日になって、今宮中の校長が、ことわってきよった。「十月にボヤもあったことだし…」管理がどうの責任がどうの、と言いよる。ボヤを俺達がやったことやと決めつけてるんや。『アンコになんか、校庭を使わせない』というつもりや。

 :オレたち自身の力で

 物を買えば金がかかり、何かをすればポリがジャマをする。そして、何かが起これば、みんなワシらのせいにされる。この町の、この社会の、こんな空気に、ワシらは負けてはならん。何か問題が起こったときは、誰にもまかせたらあかん。まずワシらの力で解決していくことを考えようやないか。この冬のつらさは、誰にたよっても解決せぇへんで。

 いろんな妨害の中で、公園のテント村は運営されている。その運営の中にこそ、ワシらの本当の力がためされているんやろうと思う。

*「連載 2 健康を守る1口メモ」

 重症になるまで気づかぬ肝硬変ーー(医療を考える会)

*「ドカーン」

 センターの便所はクソダラケ。爆弾ハレツでクソダラケ。

センターの3階クソダラケ。

 今日は朝からオマワリさんがクソソウジ。

クソにまみれたガラクタさがし。立入り禁止でクソソウジ。

 なんでセンター爆弾ハレツ。

ワシラが建てたセンター爆弾ハレツ。

センターの便所が爆弾ハレツ。

 <寄せ場>の3階爆弾ハレツ。

<寄り場>に便所はナカッタネ。ケタオチセンター爆弾ハレツ。

 なんでセンタークソダラケ

*「テント村だより 第2報」

 きのうの晩、テント村からハトロールへ行く前に、なんで越冬闘争をわしらがやるのかを話しあった

 これに続いて、1人のおっちゃんが、手配師のあくどいピンハネを示して「来年から、こんな手配師を1人残らずこの釜の町から追放せんとあかん。」という演説を力を込めてやった。

 テント村に集まったみんなは、このおっちゃんの演説に、熱心に聞き入り、盛大な拍手をした。

*「何のためのガサ入れか」

 きのう、午前9時頃、越冬対策実行委のメンバーであるNとIの部屋にガサ入れ(家宅捜査)があった。

1体誰の、何の容疑によるのかわからぬガサ入れは、府警のポリを中心に、西成署の私服30人が辻々を固める中で行われた。

 あとで判ったのだが、容疑は山谷で、急救車の扱い方に抗議した仲間を(現行犯)逮捕した事件に関連してでとか。

現行犯でパクッたあとでわざわざガサ入れせねばならないのか。

 12月初旬、山谷の仲間を支援するために俺達は上京した。

釜と山が連帯して闘うことをおそれた権力は、越冬闘争に対する攻撃をはじめたのだ。ーーー 釜ケ崎共闘会議

*「なかまのこえ」

 西成署ポスター批判

*お詫び:12月26日付、日刊えっとうの裏面、まんなかの段「無責任な大和中央」の記事1行目「尼ケ崎」は「釜ケ崎」であったことをお詫びします。 

12月28日 大晦日3日前号

*「電車にのって相談に?でたらめな「革新」行政」

 :正月、窓口開くにゃ開くが

 今年は、あいりん会館の窓口は無理やから他にどこか相談を受けつける窓口をつくりますと片山は言うとった。そしてワシらが「1体どこにつくるんや」ときくと、「それはあなたがたには言う必要はありません」とぬかしよった。

 :森之宮か天六か

 民生局が相手にならんので、市職労(市職員の労働組合)に話を聞きにいくと、今日(28日)更生相の正月窓口をどこに開くか決まるということを教えてくれた。よく話を聞くと、その窓口は天六の北市民館か森之宮の市立労働会館のどちらかに28日まちがいなく決まるという。交通費も出るらしいが問題なのは、釜の人間の相談窓口をなんで天6や森之宮でせなあかんかということや。ほんとに相談が必要な人間に、交通費が出せるか、ということや。

 もう革新ヅラをするのはやめろ。正月の窓口を釜の中にしろ。あいりん会館の更生相を正月もあけろ!

*「モチ代はあした」

 モチ代(冬期1時金)1人1律3千2百円。 

期日・時間 29・3〇日  朝十時ー12時、夜5時ー7時 

持っていくもの:日雇失保手帳(白手帳)、ハンコ、写真カード 

場所:萩之茶屋小学校の講堂

(ただし、27日までに手帳を取った人)

 1時金の西成分会の要求額は1人1万円でしたが、結局こんな少ない額になりました。それはまだまだ俺達の力が弱いから。皆がガンバレば1人、5万円も絶対夢ではない。ガンバロウ!

*「連載・健康を守る1口メモ・3」

 「カゼをなおすための薬」について

*「テント村だより 第3報」

 :私服がウロチョロ

 1昨日の「センター爆弾事件」以来、みなれない私服がグッとふえた。爆弾事件までは、テント村にほとんど顔も見せなかったのに、きのうは、えらくたくさんのぞきに来てくれた。夜は夜で、テント村南側の菓子屋の前で、火にあたりながらガンバッていた。
 万が1の時のために、テント村警備班は、みんなといっしょに、テント村のまわりをパトロール。

 :帰ってきた仲間

 17日に山谷でパクられたワシラの仲間・Sが、きのうの晩、検パイになり、元気に帰ってきた。

 *「催し物案内」

  今夜6時から8時ごろまで映画を2本やる。

 「反国家宣言」いまも昔も、わがニツポン国の親玉は天皇ヘイカ。そんなニツポン国をズタズタにするためにつくった映画。

今年の2月、沖縄の若者たちが、国会で爆竹を鳴らして、ウソつぱちの沖縄返還に抗議した。

ニッポン国への服従を強制されつづけている沖縄人にとって、沖縄の解放は、ニッポン国を拒否することからしかないという。

 「アイヌ・シタッピリ」アイヌ民族は亡んだと言われている。どっこいアイヌは生きている。差別と弾圧の中で生きている。

アイヌ民族の誇りと、生活の場をうばい返すたたかいを続けている

*「なかまのこえ」

 詩「風景」

  9州の炭坑町の遊郭で

 ダイナマイト心中があった。

 男は3年ほどまえまでは

 快活でたくましい炭坑労働者であった。

 女はよく働く彼の妻であった。

 その妻は子供を残して女郎に身を売り

 父と子はいもの茎やかゆをたべてその日まで生きのびていた。

 男はとうとう千円を工面して1夜こっそり妻の身を買ったのである。

 その夜

 ふたりはどんな話をしたのだろう。

 夜あけごろ

 爆音はねしずまった色街のすみずみまでひびきわたった。

 ふっとんだ窓ガラスや障子に

 2人の肉片が点々とすき間もないほどへばりついていたという。

 ****** 働く仲間の雑誌を作ろう。苦労を、経験を言葉で残そう。

 釜には釜の花が咲く。

12月29日 大晦日2日前号

 *「なめられている労働者」

 :容れられなかった要求

@越冬資金5百万円の給与

A災害救助物資の給与および貸与

B救急ベッドの確保

C今宮中講堂の開放

 これらは多くの苦労する仲間のでる釜の冬にとって、まったくあたりまえの要求や。でも@Aは全てダメ、BCは「考慮します」と言うとった。そして、現実はどんなんやったんか。

 きのうテント村におった19人の仲間が、皆であいりん会館の更生相に行ったら、施設送りを認められたんは、わずか5人やった。

そして今宮中の講堂はもちろん、校庭もかさへん。

救急病院は、阪和と大和ばかりで、いつも満員なんや。

これやったら、何で「民生局」があるんかわからへん。

 :教えねばならない理由はない

 「あなた達と交渉できませんから、一市民の陳情(おねがい)として聞いておきます。」

これが、俺達が最初に足を運んだとき、民生局片山主幹のいうたことや。

 テント村に集まっとる仲間を交渉の相手として認めへんいうのは、全然やる気がないだけとちごうて、相談の窓口をあけても、来られたら困るんとちがうんか。

 俺達は今まで行政交渉を組合にまかせて、冬の問題にかぎってしか、行政に行かなかった。これを考え直して、何か問題があると行政に行って、しっかりした糾弾の闘争を組まなあかんやろ。

*「きょうモチ代支給!」

 (余裕のある人は越冬対策にカンパを!)

*「連載・健康を守る一口メモ・4」

 アルコール中毒について

 栗岡精神病院の実態を示す患者の手記「神の隣に医師の席はない」希望者はどうぞ。

*「正月にこまったときは…」

 :寝る場所とメシの世話

北市民館(地下鉄天6下車)
 あいりん会館にあった「更生相談所」が、正月の間りんじに、北市民館で窓口を開きます。時間は、午前9時から夕方5時まで。

 :体が悪いが、医者にかかるほど余ゆうがないとき

 医療センター(センター東側)
 正月の間も開きます。但シ、正午から2時の間だけ。

 :すべての相談は 4条ケ辻公園のテント村

 ここには本当の仲間がいます。しせつや病院に行く場合は、朝9時に来れば、たくさんの仲間といっしょに行くこともできます。余ゆうのある人も、困っている仲間の世話をするために来て下さい。

*「テント村だより 第4報」

 :催し物ー映画

 きのうやる予定だった映画は、雨で、今日やることになりました。

 :中国から帰った仲間

 きのう、山谷と釜の労働者で組まれた訪中団の1人、Oさんが帰ってきた Oさんの報告を、次号から「仲間の見た中国」として連載していきたいと思います。(「なかまのこえ」は、1応、先号でおわりにします)。

*「いいたいほうだい」

1、1人の仲間も殺させない。

1、労働者どうしのみんなの力で越冬をやりきる。

1、応援に来た者は釜を真に理解する場にする。

1、行政糾弾のため、苦しい冬の実情を記録する。

1、何よりもまず資本主義批判としてやる。

1、新たな出発のため、今までの闘争を話し合う場にする。

 これは、越冬対策実行委員会が、越冬に入るにあたって、その目標として上げた6項目である。

日刊えっとう社は、この目標が、十分に闘う仲間や支援者に受けとめられていないように、思っている。

 まず、この目標を、越冬に集まった仲間といっしょに、自分の考え・闘いとしてやっていかなあかんと思う。

そんで、みんなといっしょに、越冬の中でこの目標がこれでええんか、考えてみようやないか。

12月3〇日 大晦日1日前号

 *「モチ代とテント村」

  モチ代(冬期1時金)の支給も、今年で2度目になった。

しかし、西成分会が「涙をのんで妥結した」と「大阪城」に書くように、わずか32〇〇円しか出なかった。

山谷では75〇〇円、青手帳もちなんかに比べると、小づかい銭にもならへん少なさや。

*「じかたび訪中団・1・中国の少年の話」

*「モチ代はきょうだけ」

 余ゆうのある人は、少ないモチ代ですが、その中から、いくらでもけっこうですので、困っている仲間のための越冬対策にカンパをお願いします。他人を救うことは、いつか自分が困った時に役立つということはこの世の道理です。この道理にかなうカンパに対して、西成分会の人はジャマをしないことが自分のためです。

*「ウソ八百の『コーナー』

 近ごろ、西成のポリたちは、「ぼうはんコーナー」などというビラで俺たち越冬対策実行委と釜の労働者の団結をつぶそうとしている。

 やつらの親方の府や市が、釜の労働者の越冬対策に資金を出すはずがないなどとぬかしとる。

*「カメラ持たせて!」

 きのう2時頃、1人のヌケタ労働者がやってきて、「写真をとらせてくれ」という。

どうもおかしいので「ダメだ」と断っても、それでもとらせてくれという。「写真をとってどこへ持って行くんや」と聞くと「写真屋や」とトボケタ答。何度も何度もきいてみると、とうとう西成署のポリにたのまれたことを白状した。

 しかし、一番あたまにきたのは、引きうけたオッサンもオッサンだが、その西成署のやり口だ。今は1円の金でも大事な時だから、礼金をエサに労働者同志を敵対させようとしたことは許せん。

*「雨のち風」

 きのうは、25日テント村がてきてから一番悪い天気やった。師走とはいえ風まで走り回りやがった。追加で立てようとしていた3つのテントは、1つを残して2つだけしか作れなかった。

この2つも走り回る風のやつにめくりあげられ、みんなズブヌレになって作業した。さらには雨まで降りやがって、それまでタキ火の前で青カンしていたのができなくなって、テントの中は超満員になりよった。

この風と雨は、みんながたのしみにしていた映画を1時間半も遅らせよって、クソ寒くなったテント村でふるえながら見るはめにしやがった。

 この1日は、テント村がまだまだ不十分なものであることを俺たちに教えてくれた。

けれど、これ以上デッカクするだけの力は、俺たちにはない。だから、この不十分なテントをなるべく病人や老人なんかどうしても必要な人を優先して入れるよう皆んなも協力してほしい。

*「催し物案内」

 本日、6じより、テント村で映画「黒神」を行います。

*「たずねびと」

 28日、夜11時ごろ越冬対策のパトロールに意識不明のまま収容され、次の日の早朝テント村を黙って出て行ったオッサン!さがしてるよ。

ズブヌレだったので着替えさせました。オッサンの持ち物をテント村であずかっています。取りに来て下さい。

*「連載・健康を守る1口メモ・5」ーーー リュウマチ

12月31日 大晦日号

 *「ポリがテント村に」

 きのうの晩、8時ちょっと前くらいに、ポリ公がテント村に入って来よった。

『制服』が1〇人も、あたりまえみたいな顔して通りやがるんや。

メシを食うてた仲間や、たき火にあたっていた仲間が、ポリ公をとりかこんで、「何しに来たんや!」「ポリ公かえれ!」と、口々に抗議した。

*「連載・じかたび訪中記・2・広州の水上生活者」

*「モチ代カンパありがとう」

 29日は、7319円、3〇日は171〇2円、計2万4千4百2十1円にものぼりました。

 テント村で、ある労働者は「ワシら頭悪いし金もないし、ソウジでもさせてもらう」と1生けんめい会場のゴミを集めてくれた。

 道に倒れている仲間がいれば、誰でも急救車を呼んでやろう。

炊き木が少なければ誰でもひろいに行こう。釜の仲間のための、仲間による越冬対策にしていこう。

*「あした(元旦)もちつき・4条ケ辻公園・テント村」

*「困っている仲間は・更生相の受付け・今日は夜9時まで!」

 テント村・朝9時集合。みんなで更生相へ行きます。

*「テント村だより・第5報」

 おとといから急に寒うなってきた。仕事もなくなったし、病気でたおれるもんもふえてきた。

きのうも、2人の仲間が、阪和病院に入院した。ベッドのない『阪和』には入れたんやけど、ベッドのある『大和』には入れん事件があった。

 ゆうべの3時ごろ、パトロール中の仲間が、頭をうってたおれているおじいさんを見つけた。すぐに急救車で、大和中央病院へ運んだ。

ところが、大和の医者は、一応の手あてだけはしたけど、収容でけへんとぬかしよる。うったとこが頭やし、血圧は195もあるし、誰が見たって安静にしてなあかんのや。

 「あいてる部屋がない」と言いよるんで、仲間の1人が調べてみたら、あき部屋がある。「どういうことや」と問いつめたら、「緊急のときのためにあけてある」と言いやがる。

話を聞いて集まった20人以上の仲間が「頭うってたおれてても、俺達の仲間では、『緊急』やないのか」と抗議した。

そしたら、例によってポリ公が出てきやがった。20人以上のポリで、1階の待合室は満員や。


 人殺し病院とポリに対して、強く抗議しているうちに、おじいさんの意識がはっきりしてきて、「こんな病院には入りたたくない」と言ったので、俺達も引き上げた。

病院を、仲間のための病院にするよう、今後も努力を続けなあかんやろう。

*「とびいりのど自慢大会・7時より・3角公園・今夕31日」

*「連載・健康を守る1口メモ・6」 便秘

73年1月1日 元旦号

*「謹賀新年・つつしんで新年をよろこぶ」

 :おめでとう!

  何とはなしに年が変わり、俺達も1つづつ年をとった。言ってみれば、おめでたくもなく、くそおもしろくない社会の時間が経っているだけだ。それでも1つの区切りとしての正月について考えてみたい。

 :東組・森田組の振舞い酒(酒代はどこから)

 きのうの夕方、センターと3角公園で、東組と森田組による振舞酒があった。両方とも同じトラックだったので合同でやったらしく、4斗樽4、2〇本入りビール3〇箱をすき放題に飲んでよいという。

 越冬実は業者に協力を呼びかけたが、東と森田はあっさりと断ったのだ。

 業者が正月という機会に労働者へ利益を還元するのは差しつかえないだろう。だが、それをもって矮小な人気取りを行うことには怒りを感じる。

 :労働者はだまされない

 昨夜のどじまん大会に参加していた仲間は、東と森田の行為に憤り、抗議行動をやった。働く仲間に追われながら、彼等は振舞酒をトラックに積み込んで逃げだした。

 :今年もガンバロウ

*「連載・3・じかたび訪中記・人民公社と解放前の生活」

*「今日・モチツキ大会・午前12時より」4条ケ辻公園

*「テント村だより・第6報」

:昨夜、医療班が倒れている仲間を速く病院に運ぼうと急救車を呼んだ。

ところが待てど暮らせど急救車はやってこない。

 やっとのことで急救車が来たのは、何と4〇分後。運んだ先は『大和中央』。4条ケ辻公園から歩いて1〇分、車で45分というからまことに奇妙な話である。おなじようなことが夕方にも起こっている。

 西成消防署の救急体制に対して私達は何らかの働きかけをしなければならないのではないだろ。

:医療班の方では『相談受付票』を用意しています。

票には「年令」「氏名」「症状」を書きこむようになっています。 症状を記入する場合、先のお腹いたを例にとれば、

@お腹のどの部分がいたむのか、Aいつごろからいたみだしたのか、B今までによくそんなことがあったか、C食べ物で思いあたるものはないのか、といったことなどを係のものに詳しく説明して下さい。

*「寝る所とメシ・更生相談所」

 1月1日から3日まで、あいりん会館にあった「更生相談所」が、りんじに森之宮の大阪市立労働会館に窓口を移します。

 テント村からは定期的に時間を決め、まとまって出発します。

*「催し物・映画「黒神」午後7時より、テント村で」

73年1月2日 第9号

*「仲間が2人死んだ」

 昨日、もちつき大会で悲しい事があった。

仲間の2人が、もちを食べている時に意識を失った。

付近にいた仲間が驚いて手当てをし、急救車で阪和病院に送ったのだが、2人は、病院に着く前に絶命した。

1人は、5十すぎのおじちゃんで、もちをのどにつまらせ、苦しんでいるのを皆で介抱した。

もう1人は、食い終えて、立ち上がり、十メートル程歩いて、泡をふいて倒れた。

モチつき大会に集まっていた仲間は深い悲しみに包まれた。

 :越冬対策を最後までやり抜き、労働者の団結を勝ちとろう!

 越冬対策実行委員会は、越冬に入るにあたって、6つの獲得目標を上げた。

その1つは「1人の仲間も殺させない」である。これまでに街頭で倒れた仲間を死に至らせることはなかった。

だが、働く仲間が、「生きている」とは言え、資本に酷使され、体力を消耗し、病み、疲れていることに対する考慮が欠けていたたのではなかったか。

 越冬実のなかにも、体力を使い果たし、倒れる仲間が出て来ている。

労働者のみが資本主義の誤ちを正し、新しい社会を築くのは歴史的必然であるとしても、資本主義によって仲間をむだ死にさせてはならないだろう。

昨日の2人の死、倒れてゆく仲間を見るとき、働く仲間の力が、まだまだ充分に生かされていないことを感じる。

*「年始における宿泊等についての相談は、下記のとおり実施いたします」

 大晦日、更生相でまかれたビラには、こう書かれていた。署名は大阪市。相談と書いてある以上、更生相談所の窓口かと思えば、そうではない。かの有名な救世軍ではないか。

 きのう7〇人もの仲間が、その相談を受け付けるという森之宮の市立労働会館に行ってみると、救世軍のオジサン達が「うちとこは例年のことで、別に大阪市とは関係ありません」という。

実行委員会は市民生局との交渉の中で「宿泊所を完備しろ」と何度も何度も言ってきた。片山という役人は「何とかします」と答え「更生相の窓口は正月の間も何らかの形で続けます」と言ったが、その「何とかします」というのがこの「救世軍」であったらしい。

ええかげんなことしなはんなや「大阪市民生局」さん。

*「連載・4・じかたび訪中記・社会主義と「差別」」

*「テントむら・スモウ大会、12時より・いっしょにもちつき(きのうのつづき)もやるで」

*「テント村だより・第7報」

 :きのうは、昼ごろから雨が降り出して、テント村も大変やった。

特に、夜になって、雨はきつうなるし、弱ってやって来る仲間もふえた。テントで寝れる人数は限られてるので、仲間同士ゆずり合うてすごした。

弱ってる仲間がテントで寝て、げんきなもんは別のテントでたき火を囲み、もっと元気なもんはパトロールに出た。そんな姿を見て、支援の労働者たたちも、こんな仲間がなんで苦しまなあかんのやと、社会に対する怒りを、さらに強めたという。

 :テント村の仲間がふえてきて、炊出しは目のまわるような忙しさや。

きのうは、中心になって頑張っていた仲間が、とうとう倒れてしもた。忙しさをみんなかぶってしもたからや。

『越冬』は自分のためにやってるんやから、気のついたことは、自分でやろうやないか。

困ってる仲間も実行委のメンバーも倒れんように協力しようやないか。

 :きのう、テント村から森之宮の無料宿泊所へ行った仲間は、朝33人、昼11人、夕方3〇人弱。

*「暴力団と警察」

 きょうも、三角公園でバクチをやっていた。日頃から取り締まりの度に、新聞にデカデカと宣伝をしている警察なので、仲間が、どういうつもりか、派出所へ聞きに行った。すると、「正月ぐらい、ええやないか」という返事

*「山谷の闘う仲間から「共に越冬闘争をやりぬこう」という激励電報がとどいた」

*「おしらせ」

 :たずねびと 〇川〇勝さん、〇島〇雄さん。

昨日の昼、医療センターで手当てをしてもらったあと、宿泊券と薬をお持ちにならず帰られました。医療班であずかってますので、取りに来て下さい。

 :森之宮の救世軍無料宿泊所に行かれる人は、朝9時半、医療テント前に集まって下さい。

 :医療センター(宿泊券つき・自きょう館)に行かれるひとは、12時と1時5〇分、医療テント前に

73年1月3日 第10号

 *「越冬で勝ち取ろう・次の1歩をふみだすために」

 越冬対策が始まって1〇日目となった。その間にテント村設営、働く仲間の援助、食事の世話を行ってきた。

だが、これらは組織的に運営されたと言えるだろうか。このような疑問は、越冬実行委の各々感じられている現状ではないか。

寄り合い所帯である越冬実がここまでやってきたのは、それなりの相互の連絡があった為であろう。その連絡で6つの目標が上げられているのを、再度ここにお伝えする。

1、1人の仲間も殺させない。

1、労働者どうしのみんなの力で越冬をやりきる。

1、応援に来た者は釜を真に理解する場にする。

1、行政糾弾のため、苦しい冬の実情を記録する。

1、何よりもまず、資本主義批判としてやる。

1、新たな出発のため、今までの闘争を話し合う場にする。

 この中で特に重要と思われるのは、2つめと5つめの関係ではなかろうか

 資本主義社会のなかで労働者は、その社会の見方、考え方、行動の仕方までその制約がある。越冬対策は(そのものとしては)限界があるとは言え、働く仲間で助け合うことで、労働者の習慣を獲得しようとしたのではなかったのか。

それは、テント村における、仲間の習慣として身につけ、「みんなの力で越冬をやる」にあらわされよう。それが、働く仲間をあなどり、責任を回避する行政当局、悪質企業への批判、すなわち、仲間の手による創造的闘争としてある。

残り少ないテント村での生活を有効に闘い抜こう。

*「更生相ー>救世軍?」

 更生相の臨時の窓口があるはずだった森之宮の市立労働会館は、救世軍の無料宿泊所やった。

そればかりか、天六の更生相も信太山の施設も、みんな救世軍が使うてることがわかった。

つまり、市は正月の三賀日の間、救世軍みたいな慈善団体にかたがわりさせて、完全にトンコしてしまいよったんや

*「連載・じかたび訪中記・5・工場見学」

*ソフトボール・みんなでやろう・テント村へ午後1時集合

 この所雨が降り続いて、ほんまにおもろないな。モチツキは中途半端でおわるし、すもうはできへんかったし、さっぱりわやゃ。 そこでや、いっちょう景気なおしにみんなでソフトボールをやろうやないか。

*「テント村だより・第8報」

 :おとといの雨で、テントのふとんがたくさんぬれてしもた。

それできのうの晩は、たき火の回りで青カンせなあかん仲間がふえた。けど、ふとんをぬらさんようにしたり、かわかしたりする注意と努力が足らんかったみたいや。みんなちょっとバテ気味やけど、協力し合うて乗り切ろうやないか。冬はまだこれからやで。

 :「労働者がしのぎ屋にやられてる」という情報が、よう入って来る。

それを気にしすぎて、パトロールの仲間が勘ちがいしてたことがわかった。おとといしのぎ屋にやられてる仲間を助けようとした労働者が、しのぎ屋の逃げたあとにやって来たパトロールの仲間に、しのぎやと間違えられてちょっともめたんや。
 きのうの晩、そのことでまたもめかけたけど、ちゃんと話し合うて誤解もとけ、仲間同士でもめたらあかんことを確かめ合うた。けど、しのぎ屋にやられてる仲間がいることは確かなんやから。お互いに気いつけ合おう。

*「規律と団結」

 この2、3日、テント村でのざわめきが、労働者の几帳面なものではなく、群衆のそれのように聞こえないだろうか。

年末もそうであったのだが、悪天候が続き、人数も増えた今、テント村は、混雑した広場の無規律のようなものとなった感が強い。

 昨年は期間が短かったとは言え、越冬実にも、働く仲間にも緊張と、資本家に対する怒りがあったように思う。今年は準備不足との声が最初からあった。確かに越冬実の準備は足りなかった。

にもかかわらず、それをおぎなう作業への取りくみが欠けていただろう累積する問題を適切に解決する努力をおこたっては、越冬実の責任が果たせない。

その場しのぎで、事を運ぶのではなく、目的を持って組織的に運営する必要があるだろう。

 必要に応じて話し合いを持ち、越冬実の問題意識を統i一し、働く仲間の積極性を引きだし、共に一丸となって、テント村を生き生きとした労働者の広場に変えねばならないであろう。

それには越冬実が先頭となって規律をととのえ、働く仲間も越冬実も、日夜、資本の搾取と収奪の中で生きていることを忘れてはならないだろう。労働者の社会への足がかりを着実につくりだそう。

 規律と団結ー社会主義的能力を!

*「激励電報きたる!」

 釜ケ崎労働者のみなさん 労働者の団結で俺達自身の正月を作っていこう。共に越冬闘争をやり抜こう。権力の弾圧をゆるすな やられたらやりかえそう。

山谷・釜ケ崎労働者の団結万歳ーー73年1月元旦ーー山谷現場闘争委員会

*「健康を守る1口メモ・6」

 おとといから、みんなで医療センターへ体をみてもらいに行ってます。きのうは61名、おとといは35名の仲間が行きました。そこで今回は、金がなく、保険もないとき、どうやって医者にかかったらよいのかを、かんがえなおしてみたい。
 まず、急救車。

73年1月4日 休刊号

*「俺達は団結を強め、冬を越し、闘いへ!

責任を放棄し、俺達を見殺しした市民生局に、抗議の声を!」

 俺達の公園での越冬対策は、夕刻まで行われる医療相談を除いて、今朝の炊出しで終わった。昼すぎには、多くの働く仲間が共に生活したテントもたたむ。20日から始まったパトロールは7日まで続く。

 :テント村はやり抜いた

 のどじまん、もちつき、ソフトボールなどもやった越冬対策。夜はたき火を囲んで映画会も。それは単に対策ではなく、俺達が作った正月やった。 ここで労働者が持つええ面を育てたんとちゃうやろか。

手配師や暴力団は金銭づくで物事考えよるけど、俺達は仲間で楽しいに生きていかなあかんと、精一杯やった。このことは今後も忘れんと生かしていかなあかんやろう。

 :民生局は何をしたんや

 俺達が行ったら、口先で格好つけて、当然の義務を果たすみたいに言いよった。それが、正月になったら、どこに行っても民生局の人間には会わなんだ。話によると「救世軍」の宿泊所へ1人様子を見にきたそうな。

 :7じ半にセンターで抗議集会 

今朝から官公庁は仕事や。このままでは腹の虫がおさまりそうにない。民生局の役人は、俺達が困るのを知っとって今日までやすんで、その間、俺達は仲間の寝泊り、病気の世話をやってきたんや。

仲間で助けあうのは当たり前のことやけど、仕事をさぼるのは許されへんやろう。休むんやったら、それなりの手を打っとかなあかんのや

 大阪市民生局に義務を果たすよう抗議しよう!

 俺達は黙って殺されへんぞ!

*「アブレ賃・4日にでます。76〇×4=3、〇4〇円(人数が多いので、支給は午前と午後になるでしょう)

*「連載・じかたび訪中記・6・日雇い労働者のいない国」 (岡本 清)

*「更生相談所(9〜5じ)・医療センター(9〜12じ)・今日から開く!」

*「労災や賃金の未払いについての相談は、電話631・2383・野鳥の会でもやっています。但し、12〜8じのあいだ

*「『日刊えっとう』休刊へ」

 短い期間ではありましたが、御愛読と多くの好評・寄稿にまず感謝の意を現したい。

しかし、いまだ失敗があったことは残念でならない。テント村も終わりとなり、越冬以後との続きの中で、われわれは「日刊えっとう」を、休刊にしたいと思います。ーーーー 日刊えっとう社編集員

*「テント村は今日解体」

*「健康を守る1口メモ・最終回」

 診療依頼券を、労働福祉センターか更生相談所で貰って、医療センターでみてもらう場合

*本日9時テント村(解体作業中)集合ー医療センターへ行きます。

*医療相談受付中ー事務所(631・2383)電話受付は12じ〜2〇じまで。ーーー医療を考える会

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