西成労働福祉センターのガードマンの仕事

 

事業紹介「あいりん労働福祉センター就労斡旋機能向上事業」

 

この事業は1999年11月より始まった。国の「緊急地域雇用創出特別交付金」を活用した府の事業で、以前は西成労働福祉センター(管理室)が行っていたが、2002年度より釜ヶ崎支援機構が委託され実施している。

 

仕事の紹介 仕事の紹介はセンターで行われている。事業が始まった頃は、求職者が窓口に殺到し、押し合い引っ張り合いで危険であったため、現在では2ヶ月に1回、抽選によって紹介する人を決めている。木曜日から次週の水曜日までの週6日間就労(日曜休み)で、1期間で20人の就労となっている。最近のセンターの求人・紹介数を見ると、紹介人数に対して求職者は約5倍である。さらに、1人が就労できるのは基金の続く3年間のうち1回のみとなっている。特別清掃事業と違って年齢制限がない。

仕事内容 夜明け前でまだ暗い早朝4時45分、労働者20人はセンターの詰所に集まる。就労場所はセンターで、内容は「周辺環境整備作業」。5時に作業開始、求人車輌が入ってくるセンター西側に、夜光チョッキを装着して誘導灯を持った労働者18人が、ほぼ等間隔に並んで求人車輌の出入りを誘導する。つまり、ガードマンの仕事である。と同時に、他の2人は周辺の掃除をして回り、車輌が入りやすいようにする。8時半頃まで続け、休憩した後に全員で清掃してゴミを集め、1日の作業は終了する。これを6日間続ける。

長時間立ち続けると時間が経つのが遅く感じられ、結構しんどい。ましてや前日も野宿している人が仕事をするのである。「就労期間が始まる初日や2日目は、労働者の体調に特に気を遣っている」と指導員は話す。暖をとる熱いコーヒーは、この時期特に必需品だ。労働者が体調を崩して救急車を呼ぶことも多い。そんな時に備えて、指導員は携帯電話と1人分の賃金程度は常に備えておく。

就労していた労働者は、この仕事について口をそろえて「助かる」と言う。こんな仕事がもっとあれば、と。1週間で、1日5,700円×6日=34,200円の収入は貴重である。「まだ55歳にならないので特掃には行けないが、この仕事は年齢制限がなく助かっている」という人も多い。年齢制限がないこのような仕事は、もっと必要だと感じる。

労働者に、この賃金をどう使うか?と尋ねてみた。「アルミ缶集めをしているが、5、6時間かけて八尾の方まで歩いている。これでやっと自転車が買える」という人。お金ができてこの間ドヤに泊まれた、という人も何人かいた。一方で、同じように困っている友人が求めてくるので、すぐに無くなってしまうという人も・・・。

期間の最終日となった水曜日、労働者たちはその日の賃金を手にして詰所を後にした。我々スタッフに、「お世話になりました」「ありがとうございました」と、ありがたい言葉を残して。


大阪城公園に仮設一時避難所開設―大阪市内で3ヶ所目

 11月27日、大阪城公園に「大阪城仮設一時避難所」が開設した。2000年暮れの長居公園、2001年暮れの西成公園の両仮設一時避難所に続いて、大阪市内で3ヶ所目となる。運営は、先の2ヶ所同様、社会福祉法人みおつくし福祉会が行う。

施設の内容もほぼ同様で、宿泊棟14棟、管理棟2棟(事務所、倉庫)、共用棟2棟(食堂、炊事・洗濯場)となっている。宿泊棟の1棟が夫婦棟となっており、トイレや洗濯物干し場に女性専用を設けている。

2002年7〜8月に大阪市が行った聞き取り調査によると、大阪城公園内での確認テント数は655件(10月末時点で約580件)、そのうち約400件の聞き取り結果は、入所希望4割(約160件)、入所拒否2割(約80件)、考慮中4割(約160件)であった。定員は300人、12月4日までに入所予定になっているのは約140人である。

釜ヶ崎支援機構では、みおつくし福祉会より委託を受けて、施設内の夜間巡回や清掃等の入所者の輪番制による所内作業の管理等、運営補助を行っていく。


―就労部門より―

毎年、草刈の仕事を私たちに提供してくださる民間の団体があります。

釜ヶ崎支援機構が事業を立ち上げ、特別清掃事業を開始したのは1999年11月。設立したばかりで何の経験も技術も持ち合わせていなかったその頃、高槻市のある自治会は、集会所や公園などの自身が管理する土地の除草作業を仕事として提供してくださいました。事業を開始する前に、新しく現場指導員となるスタッフが、研修としてその現場に行き作業しました。

それ以来、毎年11月頃にその自治会から同じ仕事を頂いています。4回目となった今年も、指導員が中心となって11月3日に作業を行いました。1年間そのままで伸び放題となった雑草を、刈払機で刈りとる。機械の使えない所や細かい所、そして仕上げはカマを使いながら手で刈り取っていく。刈り取られた雑草をほうきで集めてトラックに載せ、収集場所へと運ぶ。・・・結構大変な作業です。そして、今年も集会所や公園は綺麗になりました。仕事をご提供くださってありがとうございました。


釜ヶ崎の町の福祉への取り組み

「簡易宿泊所」から

「福祉アパート」、そして

「サポーティブハウス」へ

 釜ヶ崎では、労働者が近年の不況で仕事に就けなくなり、簡易宿泊所(ドヤ)にも泊れず野宿に至る人が後を絶ちません。福祉事務所を訪れても、65歳を過ぎるまで居宅保護を受けることが困難な現実があります。65歳で野宿から脱却し、生活保護を受ける道がようやく開かれます。

その際の住まいとして利用されているのが「福祉アパート」。保証人不要、保証金不要、最初の保護費が降りるまでの1ヶ月分の家賃を待ってくれる、生活保護受給者向けのアパートです。これは、簡易宿泊所が、生活保護受給者のためのアパートへと転換を図ったものです。「ドヤ」から「アパート」へ看板を変えただけのところも少なくないですが、「サポーティブハウス」とよばれるケア付きのアパートが少しだけあります(簡宿から転業約50件のうち8件)。

 

そんなサポーティブハウスの1つ「おはな」を訪れました。玄関から入るとその脇に受付があり、スタッフが常駐しています。1階には共同リビング(談話室)があり、歓談できる空間があります。6階建てで入居者96人、各階に共同の台所とトイレがあり、1階と2階には足が不自由な人のために車椅子用トイレが設置されています。また、風呂にもスロープを付けるなど、バリアフリーが所々に見られます。

3畳半の個室。「部屋の広さが問題なのではなく、もっと大事なことがあるんじゃないでしょうか」とオーナーの西口宗宏氏。

 

西口氏はいつでも入居者の相談にのります。その際、選択肢はいつも複数用意するようにしているのだそうだ。1つの答えを相談者に押し付けるのではなく、その人に複数の中から選んでもらうのだそうです。また、役所や、病院、郵便局、銀行等で「通訳」をします。つまり、ケースワーカーとの相談の時に、自分の状況や意志をきちんと伝えられない人も多く、仲介をして相談の手助けをしているそうです。また、病院、郵便局や銀行に付き添って、生活の訓練をサポートしたりします。それでも、必要な手助けはするけれど、基本は「自分の足で歩いてもらう」。

また、「おはな」には多くのサポートプログラムがあり、市民検診や、栄養相談、学童保育の「子どもの里」の子供たちとのイベントや、カラオケ等に取り組んでいます。

入居者の中には、借金等の問題を抱えている人もいます。届いた郵便物が一度受付を通されることで、そういった何かトラブルを抱えている人の重荷をおろすことに繋がっています。また、別のアパートへと転居していった人もいますが、そのほとんどの人が、転居後の住民票の手続きや相談等、何やかやで再び西口氏のもとを訪れるのだそうです。

しかし、このようなサポーティブハウスはまだ多くはありません。単なる「福祉アパート」ではなく、サポーティブハウスが今後さらに増えるなら、これまで長い間、野宿という瀕死の現実に直面して生きてきて、ようやく屋根の下にたどりついた彼らの生活も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

野宿から経済的には低めであれ安定した生活に移行した人達が、その生活にあった意識を持つようになることが大事であると共に、3畳一間の寝るだけの箱での転業が相次ぐ今日、もっと多様な居住空間を選べるような状況づくりが必要になっているように思えます。


「グラウンドゴルフ」毎週土曜日に続けています!

生活保護を受けるようになり、アパートで暮らし始めた人たち。今まで路上で暑さや寒さと闘い、必死に飢えをしのいで生きてきた彼らは、ようやく人並みに暮らせるようになると、その安心感からか緊張の糸が切れてしまうのかも知れません。生きがいを見失ってしまう人。酒に逃げてしまう人。

彼らが部屋にこもりがちにならないように、そして再び路上へ戻らないように、外へ出るきっかけや、他人とコミュニケーションを図れる場は重要です。

釜ヶ崎支援機構の福祉相談部門では、毎週土曜日に、西成区内の公園でグラウンドゴルフをレクリエーションとして継続して行っています。生活保護受給者が対象で、大体毎回講師1人と参加者10人くらいです。

プレイしている人たちは、講師も含めて実に楽しそう。夢中になって遊ぶ顔は、どれもとてもいい顔をしています。中にはこのNPOのグラウンドゴルフが楽しくて、自分で別のチームを作ってしまった人もいるそうです。

グラウンドゴルフに参加する人は元気のある人たちです。そうではない人たちとどう接していくか、どうやって社会との接点を作る手助けをするかが課題です。